2009年2月4日水曜日

12月繁忙期
投稿者:遊観 投稿日:2008年12月23日(火)11時57分4秒
ぼくの仕事は、12月は極めてハードです。朝早くから夜遅くまで、延々と仕事をやらねばなりません。ために毎年この月は、ライフワークはお休みです。今日は休みで、やっとここに書くことができました。図書館で借りた本や置いてある本もなかなか読み進みません。まあ、仕方ありません。でも、実はここの所は一区切りしているので、ちょうどよいと思っています。来年からはまたいろいろやります。フィールドワークにも出たいし、たくさんの本に触れ、たくさん考えていきます。そうそう、ずいぶん長い間ピアノにも触れていないので、バッハを練習します。作曲もやりたい、絵も描きたい、リーラーの第二巻の構想もできているので、これも書きたい、登山もしたい・・・好奇心旺盛なので、これまでいろいろやってきましたが、来年からまたどんどんやります。


縄文的「リーラーの宇宙」の梗概 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月30日(日)21時06分38秒
縄文的「リーラーの宇宙」・・・・リーラーはサンスクリット語で遊戯、遊び戯れの意味です。インドの神は宇宙創造をリーラーによって為した。だから我々人間の人生もリーラーであるべきではないかと。第一章ではユングや進化論、縄文時代遺跡など多くの例証によってリーラーを説明し、さらに存在や人生において・・・物質世界に中性子があるように・・・判断も「イエス・ノー・リーラー」という三つから構成されていることを実証しました。第三の判断たるリーラーとは、「判断しない」「結論を出さない」「イエスでもノーでもない」という判断のことで、これを「イエス・ノー」と同等の判断であると認めるものです。例えば・・・「ねえ、君、今晩ぼくと食事どうかな?」に対して、「イエス・ノー」のどちらかだけで回答するのではなく、「そうねえ、リーラーよ!」と回答する立場もあるということです。第二章は歴史などその続きで、第三章が「リーラーの宇宙」のメインテーマです。だから「リーラーの宇宙」は第三章から読んでいただくのがよいかと思います。そのテーマは一万年のながきにわたって戦争のなかった縄文時代の人々が持っていただろうリーラー的宗教イデアです。もちろん、キリスト教がユダヤ教や中期プラトニズムやマニ教との関係のもとに創出されたとか、「あの世」に行って幸福になるためとか、神秘主義や歴史的宗教などなどとは関係なく、これをサイエンスや哲学などから類推しました。・・・・だからリーラーでは当然「あの世」の存在を肯定します。でも、それは存在の背景にある本質とか、シェルドレイクの形態形成場とか、リサ・ランドールの言う五次元など物理学におけるハイパー空間・・・そういったものではないだろうかと考えた中で「あの世」があるとします。そうした「あの世」・・・つまりリーラーでは人間は一回限りの刹那的存在ではないという古典的なイデアの忘却が、人類を自滅の道に追い込んでいると考えます。つまり、悪いことをするとエンマ様に舌を抜かれるとか、袖擦りあうも多生の縁とか、つまり人間の場合は「あの世」ですが、そういった存在の超次元的根拠、存在の背景にある本質を意識することによって、人類は平和になるとリーラーは考えました。縄文時代の人々はそのようなリーラーを持っていたがため、一万年というながきにわたって戦争のない文化を築けたのでしょう。即物的、機械論的宇宙観では「明日は野となれ、山となれ、今をいい気分で過ごせるのならそれでいい!」という刹那的な人生しか送れません。結果的に同胞を殺傷、搾取し、環境を破壊していきます。あたかも時間は直線にピーンと張られたロープと同じで、倒れないように全速力で駆け抜けなければならないかのようです。ところが時間はそんな矮小なものではありません。そう、いったん立ち止まって左右を見ると、実は時間は一直線上のロープなんかではなく、なんと右にも左にも足をつけることができ、踏み外して落っこちてしまうようなことはなく、とても許容能力の高い質を持ったものなのです。立ち止まったり、左右を見渡すためのツール、それがリーラーです。 リーラーは哲学的には「存在の背景にある本質」を考えるということから、プラトニズムや実存主義の受け売りに見えるかもしれませんが、その通りでしょう。ただ、それを、数々の例証をあげて、日常的に使えるツールにしたところが違うといえば、違うでしょう。そういう意味でリーラーは、従来とは違う視点を持ったまったく新しい平和思想であると言えますが、本文で力説しているように「そういう意味で、縄文のひとびとは現代のわれわれよりもずっと進化していた。だから、精神のレベルにおいて「一万年に戻ろう!」ではなく「一万年前に進もう!」なのだ。」ということで、リーラーはちっとも新しいものではなく、もともと人類がその基層に持っているものだと言えます。人類の歴史からみれば、ほんのわずかの期間ですが、人類はそれ置いてきてしまいました。そのリーラーを思い起こそうという趣旨の内容です。


キリスト教成立史 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月29日(土)11時25分6秒
これまで仏教については多少の知識があったので、ここ数年間はキリスト教成立について考えてきた。たくさんの本を読み、日本のキリスト教会へ行ってみた。またストーンヘンジ見学の折りにも、イギリスの教会を訪れた。残念なことにまだバチカンへは行ったことがない。それが心残りだが・・・。・・・で、やっと十字軍のあたりまで、キリスト教成立についてたどりついた。まずは、このような膨大な著作にふれることができたことをそれぞれの著者に感謝したい。また教会を訪れた際に心やすくぼくの質問に答えてくれた神父様、牧師様、また過去の方々(告白します。ぼくはオカルティストです)に感謝します。とくにチマッティ神父様には親近感を抱きました。ありがとうございました。 さて、結論から言うと、ベツレヘムに誕生されたとするイエスと現代に流布されているイエスキリスト像はずいぶんと違うようです。聖骸布に記されたイエス像から描いたジョルジュ・ルオーのイエス像が最も当時のイエスに近いと思うようになりました。


風邪をひきました・・・ 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月29日(土)10時52分6秒
長い間、風邪などひいたことがなく、仕事の日は睡眠時間4時間で足りていたのに・・・。ために、夜いろいろ勉強できたのですが、なんと、今回風邪をひき、一週間ほど体調をくずしました。うん、来年は60歳か・・・などと感慨を持つ次第です。でも考えてみれば、還暦は人生の一つの区切り、さあ、それではやるか!と考えました。はい、来年は現役からひとまず引退して、リーラー的に生き、リーラー的に逝けるように 、そしてリーラーをもっと完成させようと決意しました。リーラーは完璧な平和思想なのだから、自信をもってこれを世に広める努力をいたします。人間が環境と矛盾することなく生きていけるガイドとなれるよう研鑽し、力強くリーラーを発信していきます。現在は金もコネもありませんが、古代の「ナーカ」を自分に呼び起こせばそれも可能でしょう。


リーラー的キリスト教観 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月20日(木)11時46分5秒    編集済
イエスには親近感を感じます。しかし歴史的イエス・キリストには疑問を感じるのです。第七感的にイエスを捉えなおしたいがために、思想的にはカトリシズム、プラトニズムやグノーシス、死海写本をまた地域的には北アフリカ、中東、ヨーロッパを概観したいのです。キリスト教への批判・中傷の気持ちはまったくありません。お断りしておきます。


{{{{(+_+)}}}} 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月20日(木)11時26分32秒    編集済
【例えば、900年から903まで在位したベネディクトゥス四世の後、レオ五世が選ばれたが、在位二ヶ月とローマ貴族との争乱に巻き込まれ、枢機卿クリストフォルスによって幽閉・殺害された。そのクリストフォルスも、次に選ばれた教皇セルギウス三世によって密かに殺される。詳細は別として、この30年観は、教皇ヨハネス十世の愛人として権勢を振るったテオドラとその娘マロッツイアが、教皇選出などをほしいままにした。いわゆる「悪女支配」の時代とされる。現に、ヨハネス十一世は、テオドラと教皇セルギウス三世との間に生まれた子供と言われるし、マロッツイアは後にイタリア王ユグと結婚するが、教皇ヨハネス十世を投獄するなどの末に、自らも非業の死を遂げたと伝えられる。教皇庁の頽落もここに極まったと言われる所以である。(総説キリスト教史・原始古代中世編 荒井献 出村みや子 出村彰 著 日本キリスト教団出版局 226ページから)】 カトリックの権力は、上記のような舞台で繰り広げられていた。そして、それほどひどくないにしても、現代までずっとそのようであっただろう。カトリック内部の権力抗争を見ていくと、本当に驚いてしまうが、その内部で繰り広げられた論争にも開いた口がふさがらない。グノーシスとカトリックの論争から、ヴァレンティノス、バシレイデス、エイレナイオス、フィロン、ユスティノス、アタナシウス、ヒッポリュトス、アウグスティヌス、オリゲネス・・・・思いつくままあげても、本当に百家争鳴!一体、イエスはどこにいるのだろう。ニカイア会議にしても、その後幾度も幾度も行われた公会議にしても、もうそこにはイエスはすっかり消えてしまっている。内部抗争と論争、謀、陰謀によって神格化された権力に忠実に従うロボットのようなキリスト像が見られるだけ。「祭壇で聖別されたパンと葡萄酒」は、「文字通りキリストの肉と血である」「いやそれは違う。聖別後もパンと葡萄酒は物体として留まるが信仰者がこれを口にするとき、より高い霊的意義を持つのだ」「いやそうではない、聖別によって、パンと葡萄酒に何物かが付け加えられるのであって・・・」「いや、ちがう・・・」こんな論争が延々と行われていた。挙げ句の果てに、論争に勝ち、権力を握ると反対者を殺してしまう。にちゃんねらーだったら「なんか、すごいなあ~、びっくり!こわっ・・・、{{{{(+_+)}}}} エー・・・・・」ということになるだろう。


終末論 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月18日(火)11時52分34秒    編集済
「怠情とは人間が自分の本来の存在と究極的に一致しないことを意味する」では「自分の本来の存在」・・・・「人間の本来の存在」とは何を指しているのだろう。彼は環境を破壊しながら、同胞を死に追いやりながら、快楽と物質的満足をしゃにむに追い求めた。そうして環境と同胞を犠牲にした結果、権力と富を手中にした。もちろん彼は競争原理が働く人間世界では強い者が勝つのは当然だと考えている。だから、自分の行為を恥じることもない。残虐な行為も思い上がりも彼にとっては、当然な行為だ。自分がこの世界に登場するのは一回限りのことだ。後は野となれ山となれ・・・今の満足と快楽を追い求めるために、同胞が傷つこうと、死のうと、森が砂漠になろうと、動植物が絶滅しようと自分にとっては関係ない。もちろん、彼の子孫がどんなに苦しむことになろうとも、関係ない。今の快楽、満足だけが彼の最も関心を寄せることである。そして彼は富と権力を手中にし、取り巻きから賞賛され、自分はひとかどの人物だと思い上がる。さて、こうした彼の行為が「人間本来の存在」なのだろうか?そう、現代文明の哲学、宗教、人生のもろもろがこのように思い上がる人間を目指すようなシステムとなっている。そして、彼は高齢となり、病に冒され病院で体中にビニールパイプを接続され、たくさんの薬剤を投入されることとなり、死に直面する。死は誕生と同様、人間にとって最も大きな節目だ。この二つと比べれば、富や権力などはかすむほどに小さな現象だ。この大きな節目こそ、人間にとって最も重大な現象だ。死に対して、もはや彼の持つ富と権力は全く役に立たない。彼は慰めにすぎないおもちゃのような宗教や死生観にすがるが、しょせんそれは慰めにすぎない。その時、彼は思う・・・必ず思う・・・死とは?生とは?・・・そして自分はこれからどうなるのだろう?薄れゆく意識の中、暗黒が彼を襲う。自分は死ぬ、全くの暗黒の無の世界へ行くのか?・・・・それとも・・・・。苦悶の中に来たるべく死がほどなくやって来る。高齢者に聞いてみるがいい。彼らは毎晩毎晩その来るべく死について苦悶している。死とは一体なんだろう。自分自身が消失する暗黒の無となるのだろうか?それとも・・・答えの出ない苦しみに苛まれている。「終末論」・・・これはこの世に終末がくるという意味だが、実際にこの終末は確実に来るし、来ている。そう「終末」とは各人にくる「死」のことだ。この地球が宇宙が神によって破壊されるという物理的なことではない。一人一人に確実にやってくる「終末」のことを言っている。「死」を真摯に考えねばならない。おもちゃのような唯物論、還元論、機械論的宇宙観に短い人生をゆだねても、真のひとの幸福にはつながらない。「怠け者」となってはならない。生きている時に、人間本来の姿を目指せねばならない。体中にビニールパイプをつながれ、死に直面してからではもう遅い。その時、富や権力はもちろん、慰めにすぎない宗教観も役に立たない。その時待っているのは・・・・。リーラー観は死と誕生を最大の節目と考える。このことから逆算すれば「人間本来の存在」を見ることができるとするものだ。そう、リーラーはそういう意味では「終末論」かもしれない。下記の「リーラーの宇宙」第三章をお読み頂ければ幸いです。http://members.jcom.home.ne.jp/lila/newpage13.htm


パウロ(サウロ) 投稿者:遊観 投稿日:2008年11月16日(日)12時20分2秒    編集済
調べていくと、西暦紀元50年頃に高まった反ローマ闘争の熱心党やシカリ派とイエスはあまり関係がない。シカリの「シカ」は短刀の意味だ。それよりこの頃回心して、キリスト者となったローマ市民権を持つ教養人パウロの動きが後々のキリスト教成立に最も重大な意味を持つ。しかしこのパウロ(サウロ)の劇的な回心の理由・意味を一体どこに求めたらいいのだろう。なにしろ、キリスト教徒を迫害するためのダマスコへ向かう途中だった。その時、彼に何が起こったのだろう。学者によっては彼はテンカン持ちだったから、その発作の際に幻想を見たのだろうなどという説まである。回心の後、イエスの兄弟のヤコブにも会い、生前のイエスについて聞き知り、さらに信仰を深くしていったのだが、伝道旅行の際には、同行していたヨハネ・マルコを怒らせてしまった。(ヨハネ・マルコはエルサレムに帰ってしまった)その理由は・・・・。パウロの語るキリスト教が多分にヘレニズム思想的であり、あまりにもユダヤ教とかけ離れてしまったからだと推測されている。パウロ(サウロ)は当初、洗礼を受けるうえで必要だった割礼も省略するようになり、この時点で既にヘレニスト信徒中心の教えになっていた。そういう意味からすると、エイレナイオスの異端反駁の理由も分からないではないが、どうだろう。福音書によればイエスは水の上を歩いたり、病気を治したり、少ない食料を山ほど増やしたり、ずいぶんと神懸かり的な人物だ。まさしく奇跡のイエスに見える。イエスはあの緻密で膨大なヘレニズム文化について聞き知っていたのだろうか。そのギャップが気になる。パウロは生粋のユダヤ人であった。にもかかわらず、ユダヤ教の教義とはずいぶんと違うヘレニズム文化にキリスト教の根拠を求めたため、同胞のユダヤ人にさえ嫌われ、迫害を受けている。彼はイエスをどう見ていたのだろう。ルカはエルサレム教会に所属した頃の彼をヘブライ名でサウロと呼び、その後ユダヤ教と決別してからは、ギリシャ名でパウロと呼んでいる。


日本語の源流を求めて・岩波新書・大野晋著から 投稿者:遊観 投稿日:2009年 2月 1日(日)23時19分55秒
P103から「揚子江下流から最初に水田稲作が到来したのなら、揚子江下流のタンボ、シロ(泥)、アゼ、クロなどを表す古代中国語が、一緒に日本語の中に入ったはずである。しし、タンボとかシロとかアゼという言葉には、揚子江下流の古代語と一つも対応するものがない。ところが2000年前のタミル語の中に、その大部分が見いだされる。それは何を意味するのか。まず実例を示して行くことにしよう。」そして説得力のある自然な説明が続く。P121から「2003年5月、国立歴史博物館の研究チームが、AMS法によれば弥生時代早期はBC10世紀あるいはBC9世紀に当たると発表した。・・・・これに対して早速異論が提出された。それは鉄の視点からである。弥生時代初期の鉄器は福岡県の曲が田遺跡や熊本県の斎藤山(さいとやま)遺跡から出ているが・・・・もし弥生時代早期をBC10世紀とすると、弥生早期に存在する日本の鉄器の方が、中国の鉄より先に存在したことになってしまう。」タミルが中国より先に鉄を製造していたその可能性は十分にある。少し古い本だが「人間の歴史・光文社・安田徳太郎著」今から約60年前の昭和27年発行で、実地体験に基づいているから、本当に興味深いことが山ほどあります。(これは全巻持ってます)に、アフリカでの鉄器製造に関する記事がある。詳しい説明はここではできないが・・・いわゆる餅鉄による製造である。鉄の原料を気長に叩き続けることで得られる鉄材だ。この方法だと高い温度も必要がない。以外と簡単に鉄製品が作れる。これまでの歴史観だと人類にとって鉄は青銅の次に現れる金属だということになっているが、決してそうではない。中国の長江文明(BC5000年頃)は青銅を制作していたが、まだ鉄はなかった。またヨーロッパが鉄を手に入れられるようになったのはつい最近のことだ。やはり、これまでの文明についての定説・通説にはそうとうな誤りがあると考えることができる。大野晋先生の本は「日本語の源流を求めて」岩波新書、「日本語はどこから来たのか」中公文庫、「日本語はいかにして成立したか」中公文庫の三冊は探せば、すぐ手に入ります。是非一読をお勧めします。


大野先生の新説(日本語クレオールタミル語説)に賛成! 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月31日(土)15時12分20秒    編集済
大野晋先生は国語学者ということなのですが、弥生時代を比較言語学なるもので調べてみるとまあ、出てくるわ、出てくるわ、通説・定説ってなんだろうと、考えこんでしまう。例えば、魏志倭人伝に出てくる「卑弥呼」・・・これは従来「ヒミコ」と読まれ「日の巫女」みたいな印象をもつのですが、しかしある言語学者(大野先生の説を否定している人です)によると「卑弥呼」の「呼」は中国ではkoとは読まず、oと読むと断言しています。となるとこれはピミオでありヒミオとなります。(音韻学などの紹介についてはとてもここに書く紙幅はありません)また、一夫一婦制や財産や権利の相続が長男になったのは室町時代あたりからで、この時代の「日の巫女」という意味や、民俗学に出てくる太陽神と結婚する巫女というニュアンスは当然現代の結婚制度とはまったく違います。「ヒノミコ」そのものの概念が現代とはまったく違うのです。室町時代以前は妻問婚であり、はじめ二人で掘っ立て小屋のようなツマ屋に住みます。だから万葉集では夫のこともツマと表現します。つまりツマ屋にいる人という意味で、ツマという言葉には男女の区別がありません・・・・というように、古代・太古は言葉の持つニュアンスがずいぶんと違うので、そのへんに気をつけないといけないと思います。卑弥呼を考える上で、こうしたことは重要でしょう。話は卑弥呼に戻りますが・・・ヒミオならば「姫の王」・・・女の王・・・女王となり、巫女の意味がなくなってしまいます。つまり卑弥呼は巫女とは関係のない単なる女王となり、いわゆる普通名詞となり、本当の名前は隠されていることになります。この魏志倭人伝には卑弥呼を称して「鬼道を行って良く人々を惑わせた。」としているのだから、やはり卑弥呼はヒミコと読んでいいんだと思います。巫女の意味を十分に表しています。魏志倭人伝に「倭人たちはまた、卑弥呼の一族の娘で十三歳の台与(とよ)を王に立てた。国中はようやく、定まった。」とありますが、台与はすると本名であり、台与が女王に擁立されたということになる。姫王トヨということだが、実名で表している。即位前だから実名でいいということなのか。また、卑弥呼と争っていた隣国の狗奴国の男王の名前は「卑弥弓呼」だが、これはどう読むのだろう。音韻学からの卑弥呼のヒミ・ピミという読み方も怪しくなってくる。「呼」をo と読むのは分かるが、男王なのに卑弥・ヒメはおかしい。音韻学者は「両方の言語で音韻が偶然に一致する確率は、各音韻の出現頻度と音韻対応則で決まる。言語i の音韻 vの出現頻度をPi(v)と書けば、偶然一致率Aは、頻度の積の和、A=Σ(i,j) P1(vi)P2(vj)」のように、たくさんの言語の知識を無茶苦茶に使うので一見論理的なように見えるが、どうなんでしょう。なんかこじつけじゃないの、みたいな面が多く見られるように思います。その点、大野先生は「弥生文明と南インド」で、民俗学や考古学の援用を頼んで、言語学的語呂合わせや論理的?こじつけだけで強引に説明しようとしていません。


風張遺跡から思うこと・・・ 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月31日(土)12時43分28秒    編集済
弥生時代の機織りについて調べているうちに、タミル語と弥生時代という場所にはまり込んでしまった。従来までの歴史区分は中国の文献や日本書紀を中心としているのだから、致し方ないのだろうが、考古学や遺伝子人類学の分野は違う結論を導き出している。例えば炭化米が見つかった風張遺跡などはその最もよい例だろう。風張遺跡はBC1000年、今から3000年前だ。また、垂柳遺跡が発掘された時期と重なるが、是川・堀田遺跡でもイネのモミ跡がついた籾痕(もみこん)土器が見つかっている。縄文後期末か?ところが調査結果は・・・大分たってから、「これらの遺跡はやっぱり弥生前期でしょう・・・。」などと定説に強引に合わせたような結論で締めくくられた。こういうのを玉虫色というのかなあ。とにかく大先生が言ったことを覆すような発見はしてはいけないらしい。発見しても、なるべく定説に合うように工夫しなければ、学会でほされて食っていけなくなってしまうらしい。3000年前を弥生時代にしてしまう・・・・700年も繰り上げちゃう。うっ、これはすごい!高級官僚が税金を泥棒する天下りを平然とやるのと大差ないんじゃないか。本人は頭が相当弱いから、自分を泥棒だと認識もできない。ほんと、なんだかすごい世の中だなあ。ぼくらみたいな市井の平凡人はほんとバカ正直なんだ。上は正真正銘の大バカ、下はバカ正直・・・・ううううう、悲しいヒエラルキア!やはり、現代にはリーラーが必要なのです!


とりあえず・・・ 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月30日(金)00時55分7秒
「弥生文明と南インド」「日本語はいかにして成立したか」「日本語の源流を求めて」の三冊を今読んでいます。「弥生文明と南インド」は古書として13.650円の・・・。図書館予約です。いやはや、広辞苑などを手がけてきた大先生だからというわけではありませんが、いやおもしろいこと面白いこと言い尽くせません。目からウロコ!支石墓から帆船、多岐に渡っていて、この先生がご高齢とはとても思えません。まるで好奇心の強い少年そのものです。


タミル文字 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月28日(水)00時43分22秒
タミル文字はブラーフミー系の文字の中でも異色だが、驚くことになんと神代文字のアヒルクサ文字や出雲文字に似ていると見るのはぼくだけだろうか。古代日本語は4ー8母音ということから、神代文字は5母音だからと神代文字を拒絶する人が多い中・・・それではタミル語は5母音である・・・・。うーん、どうだろうか。今手元に吾郷清彦先生の「日本神代文字・古代和字総覧」があり、ネットで検索したタミル文字と対照しているのだが、なかなかおもしろい。「イツコリ」のテーマと構成をメモにしてあるのだがどうやら少し変わってくると思う。銅鐸文化圏、狗奴国、イト国、高地性集落、稲作、銅鐸、銅剣、銅鏡、古墳、風土記、記紀・・・という判で押したような歴史観に風穴を開けるような小説にしたいと・・・・。


日本語クレオールタミル語説 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月28日(水)00時20分11秒    編集済
大野晋先生の「日本語クレオールタミル語説」をご存じだろうか。インドの言語の一つのタミル語と日本語が酷似していることから、この列島の言語がタミル語の影響によってタミル語的、いわゆるピジン語となり、その後クレオールとなった、という説である。ピジン化はBC1000年の弥生時代前期と推定している。(ピジン・クレオールについては下記参照http://www.info.sophia.ac.jp/fs/fukusen/gengo/gen-0404.htm)イツコリを書くために弥生時代を調べていてこの説を知り、大野先生の本をネットで調べて早速購入しようと思ったら、岩波新書などは簡単に手に入るが、「弥生文化と南インド」という本はなんと¥13.650でした・・・・ところが府中図書館で検索したところ、一冊ありました。もちろんこれを予約しました。さあて、しばらくはこの先生関連の本を数冊読んでみます。安い本はもちろん三冊ほど購入しました。イツコリの行方にとって重大な説だと感じています。


リーラー的生産行為 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月25日(日)19時00分46秒
日本の歴史01・「縄文の生活誌」講談社・岡村道雄P248に石器石材の流通と手工業生産の所で「ただし、供給に見合う見返り品が想定できるケースは残念ながら少ない。システムや技術は手工業レベルであっても、利潤を追求し、見返りを求める経済行為ではなかったようだ。」とある。となると縄文時代の流通・生産のコンセプトをリーラーに求めることはさほど不自然ではないと思う。というより、リーラーしか考えられないだろう。


書き始めた「イツコリ」 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月21日(水)01時23分50秒
「イツコリ」は創作的にはかなりしんどい作品です。一枚書くのにたくさん調べなければならない。定説がない故に、研究者によっては記紀を半神話的などと無責任な言い方をするし・・・。だったらどの部分が神話でどの部分が史実なの?・・・自分の説に合致しない、あるいは説明できない部分が神話で、ええと説明できる所が史実です・・・なんて頭の悪い官僚が作った首相答弁みたいに隔靴掻痒。魏志倭人伝を後生大事にするのは分かるが、最新の考古学の資料にももっと目を通した方がいいんじゃないの?と言いたくなるような、文献史学の先生もおられる。そうした面から言うと、寺沢薫先生の「王権誕生」講談社・日本の歴史02は説得力があった。「イツコリ」は寺沢先生の歴史観で書きたいと思う。強引さもみられるが、そこがまた魅力的だ。イツコリを考えるのにこの本に出会って、本当によかったと思える。 さて、イツコリは長編になるのだろうか。現段階では資料収集とメモをたくさん作るほかないが、時代は方形周溝墓から発展した前方後方墳が各地に現れる少し前をイメージしている。銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸や後世の山城の原型とも言える高地性集落など、また多氏について阿蘇神社や鹿島神宮など、もちろん記紀なども、そうそう府中図書館は大国魂神社のお膝元ですから、その向きの所蔵がたくさんあるのでここにも足繁く通います。そんなわけで「イツコリ」は完成できるのだろうか?と心許ない不安な状況ですが、まあこつこつとやっていきます。


小説「イツコリ」 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月16日(金)21時42分1秒
繁忙期が終わったので、書きかけの小説「イツコリ」を再び書き始めました。まずプロローグを『ここに連載「イツコリ」』(緑色)に置きます。自分に課すつもりで、連載としたいと思います。御批評頂ければ幸いです。http://members.jcom.home.ne.jp/lila/newpage14itukori.htm


唯物論的視野 投稿者:遊観 投稿日:2009年 1月 8日(木)23時20分20秒 唯物論的視野について少し話しをしよう。木の板、柱、釘、壁紙、新建材、布、プラスチック類、瓦・・・これらを有機的に組み立てたものをなんというだろう。そう、家だ。それらは家を構成する元素と言える。家は木や釘でできているが、木や釘ではなくその集合体だ。家では家族の団らんがあり、家族が風呂に入り、料理をし、食事をし、子供たちが笑い、就寝する。家は板や釘ではないが、板や釘でできている。家と同量の板と釘を家とは言わない。それは板であり、釘だ。はて、では家とはなんだろう。板と釘の研究をしても家については分からない。概念は全く別のものだ。どちらかと言うと家を論ずるには、板や釘の研究よりは設計図の研究の方が適していることになる。また、家が人間が住む場所であるというカテゴリーからすれば、家の定義はさらに人間とは何か?と問う必要も出てきてしまう。そうなると、板や釘から完成した家は、物質である板や釘とはまったく別のカテゴリーにあるということになる。家を考えるには、人間や家族、歴史的背景、地理的条件、気候・・・が優先されることになる。結果として、家を造る場合に板や釘が使われることになる。板や釘は家のコンセプトが成立してから必要となる。 では・・・・。人間は何からできているのか?そう、窒素原子や酸素原子、水素原子からできている。さらに家の部屋を作るように、脳や内蔵、骨、筋肉、神経がその原子から作られている。だが、家を考えるように人間を考えてみると・・・・どうだろう。唯物論的視野にある者は人間が物質から作られているから、人間も物質なんだろうという大きな勘違い、思い違い、思いこみをしている。それぞれの原料に関しては物質の研究で分かるにしても、人間を理解するのに同じスタンスでいいのだろうか?家は板や釘じゃない!子供の笑い声、料理を囲む家族・・・・、それが家なのだから。板や釘の研究からでは、そうしたことを理解できないだろう

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