倭国と倭人については『三国志』魏書東夷伝倭人条」の中で軽くふれられているにすぎない。それに距離の説明などあまり正確ではないと指摘されている。だが後漢書倭伝とこの資料が三世紀頃のこの列島を知る第一級の史料ではある。
さて、一般にこの列島には中国や朝鮮からたくさんの人々が渡ってきており、その人々が弥生時代の幕開けをしたということになっているが、魏志倭人伝には、なぜその記述がないのだろう。言語学の本を読むと日本語は中国語とは異質なものであり、朝鮮語とはアルタイ語族で同族ということになっているが、大野晋先生によると対応する単語がほとんどないことから、朝鮮語とはかなり遠いらしい。もし朝鮮半島から大量の人々が流入していたとしたら、その中継基地は当然対馬ということになる。しかし魏志倭人伝はこの対馬から始まっている。ここは朝鮮とは関係のない倭国であるということだ。また元と高麗の連合軍がこの対馬を攻め、1019年の刀伊の賊の襲来があった。ここは半島の勢力範囲ではなく、倭国であったからだろう。
おそらく、中国や朝鮮の人々が大挙して来たというのではなく、文化や慣習が入ってきただけなのではないだろうか。だから、弥生人も蝦夷ももともとこの列島に住んでいた人々だろう。つまり、そのルーツは縄文人ということになる。もし外国からたくさんの人の流入があったなら、中国の史書にそのことが少しくらい書いてあってもいいだろう。魏志倭人伝は冒頭から、もの珍しい外国紹介というスタンスだ。卑弥呼や台与のことや倭国大乱よりも、風俗に重きを置いているように読める。とるに足らない小国・・・。日本人として残念だが、その程度の描写だ。中国や朝鮮からたくさんの人が移住していれば、もう少し違う書き方をしていただろう。
2009年3月26日木曜日
2009年2月15日日曜日
古事記をきちんと読みたい
「日本語はいかにして成立したか・大野晋著・中公文庫」から
「古事記の本文の万葉仮名を精しく調べると、古事記には、八十七よりも一音節多い八十八の音節の書き分けがある。一つ多いのは、万葉集にも日本書紀にも見られないその二つの区別、「毛」(甲類)moと「母」(乙類)mö の書き分けがあるからである。・・・・これは八十七音節を区別した万葉集の音韻体系よりも一時代前の音韻状態を反映するものである。かように古事記にモの甲類乙類の区別があるのに、万葉集にはその区別がないという事実が、どうして古事記が一時代前の音韻状態を記録していることになるのかを説明しよう。」
として、「オ列音甲類乙類の区別の意味」で精緻な説明がなされている。もちろん説得力のある研究であり、納得がいく。古事記の最も古い写本は真福寺写本であり、1371~2年に書写されたものだ。この時代には既にカタカナや句読点が一般化されていたにもかかわらず、あえて原本の通りに書写している。原本を後世に残さんとする書写した真福寺の僧たちの心意気が伝わってくる。
ということから、ぼくは出雲文字による「イツコリ文書」の神名を主に古事記によって表記したが、やはり間違っていなかったと思う。賀茂真淵先生には申し訳ないが、古事記はやはり和銅五年、西暦712年・・・ということでいいのではないかと思う。弥生時代の検証にはやはり古事記は欠かせない。だから古事記をきちんと読みたい。
「古事記の本文の万葉仮名を精しく調べると、古事記には、八十七よりも一音節多い八十八の音節の書き分けがある。一つ多いのは、万葉集にも日本書紀にも見られないその二つの区別、「毛」(甲類)moと「母」(乙類)mö の書き分けがあるからである。・・・・これは八十七音節を区別した万葉集の音韻体系よりも一時代前の音韻状態を反映するものである。かように古事記にモの甲類乙類の区別があるのに、万葉集にはその区別がないという事実が、どうして古事記が一時代前の音韻状態を記録していることになるのかを説明しよう。」
として、「オ列音甲類乙類の区別の意味」で精緻な説明がなされている。もちろん説得力のある研究であり、納得がいく。古事記の最も古い写本は真福寺写本であり、1371~2年に書写されたものだ。この時代には既にカタカナや句読点が一般化されていたにもかかわらず、あえて原本の通りに書写している。原本を後世に残さんとする書写した真福寺の僧たちの心意気が伝わってくる。
ということから、ぼくは出雲文字による「イツコリ文書」の神名を主に古事記によって表記したが、やはり間違っていなかったと思う。賀茂真淵先生には申し訳ないが、古事記はやはり和銅五年、西暦712年・・・ということでいいのではないかと思う。弥生時代の検証にはやはり古事記は欠かせない。だから古事記をきちんと読みたい。
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