ぼくは「中村元選集」でさえその分量と内容からつぶさに読めないでいる。積ん読である。全著作など、どうあがいても全く不可能!
そうしたことから、この本「中村元の世界 青土社」は中村先生の著作を研究している研究者たちが書いた本なのでそのエッセンスを知るだけなら申し分のないものだと思う。五人の研究者がその専門分野から、雑誌や英文で発表した論文などを精査したものであり、「中村元著作ガイダンス」となっている。
その中でとくに阿部慈園先生の「中村元と原始仏教」は、ダンマーパダやスッタニパータなどから原始仏教を見直す場合必須のガイダンスだ。流布されている『原始仏教』とは大分趣が違う。仏教とは?という新たなる好奇心が生み出される。鮮烈な驚きを生む。
中村先生はサンスクリット語研究者として、サンスクリット語で会話ができ、そのほかパーリ語、プラークリット語・・・をマスターしている。外国に赴き数ヶ月で当地の言葉をマスターし、すぐにその当地の言葉で哲学者と討論したと言われる玄奘三蔵法師を彷彿とさせる凄まじい語学力を持っている。もちろん、漢訳仏典に通暁しているだけでなく・・・。中村先生の超人ぶりは筆舌に尽くしがたい。
ということから、阿部慈園先生の「中村元の世界・中村元と原始仏教」同書118ページから少し抜き書きしてみよう。
これらの原典批判にもとづいて、とくに成典中の詩句を中心として発展史的に思想をまとめてみた結果、博士は次のような驚くべき結論を導かれた。
古い詩句に説かれている仏教は、一般の仏教学界で説かれていた原始仏教とかなり異なるものである。
と。博士のこの結論は、まさにショッキングな説といわざるを得ない。いままでの原始仏教研究の成果をくつがえし、ぬりかえるほどショッキングなものである。その結論の具体的な事例として、次の八点が挙げられる。
1 いわゆる仏教語とか、仏教独特の述語というものは殆ど見当たらない。
2 いわゆる教義なるものは殆ど説かれず、むしろ懐疑論的な立場に似たものが表明されている。
3 仏教的なニュアンスが少なくて、むしろアージーヴィカ教やジャイナ教を思わせる文句が少なくない。
4 修行僧は、森や洞窟などの中にひとり住んでいた。また共同の修行者と一緒に住んでいた者もいたが、しかしいわゆる寺院(精舎)における共同生活は殆ど見られない。
5 最初期の仏教の修行者の生活は、後代の僧院の修行者(ビク)とそれとはかなり異なり、むしろ叙事詩(マハーバーラタやラーマヤーナ)に現れる仙人のそれに近い。
6 最初期には尼僧は、存在しなかった。
7 戒律の箇条の体系は、まだ成立していない。
8 開祖釈尊は、すぐれた人間として仰がれ、神格化が徐々に起こりつつあった。
次にP142から
近年刊行されたジャイナ教の古い典籍『イシバーシヤーイム』(聖仙のことば)は、45人の聖仙の思想を伝えている。仏教者としては、サーリプッタやマハーカッサパなどが言及されている。彼らは、みな「ブッダ」と呼ばれているが、サーリプッタは特に「ブッダであり、阿羅漢(尊敬されるべき人)であり仙人である」と呼ばれており、「慈悲の徳」を強調していた、という。
奇異に思えることであるが、仏教の開祖である釈尊が、本書中のどこにも言及されていない。むしろ、ブッダとなる教えが、サーリプッタなどの教えとして紹介されていることである。すなわち、初期のジャイナ教徒からは、仏教は釈尊の教えとしてではなく、サーリプッタの教えとして伝えられていたこと、つまし、サーリプッタが最初期仏教の指導者と、彼らから見なされていたという事実である。博士は、そこから、次の如く推理される。
釈尊は臨終にもアーナンダその他の僅かの人々につきそわれていただけの微々たる存在であったが、それを大きな社会的勢力に発展させたのは、サーリプッタその他仏弟子のはたらきではなかったか?
と、さらに、
『聖仙人のことば』に伝えられている・・・・・教えが歴史的に古い、もとのものを伝えていて、現在のわれわれが、仏教を考えている内容が実は後代の成立のものであるかもしれない。
と提起される。
―中略―
『スッタニパータ』の古い詩句には、ブッダということばがでてこないのは、この時代の仏弟子たちは、釈尊を特にブッダとも思わなかったし、また特別にブッダと称せられるものになろうともしなかったからである。
仏教を理解する上で、当然のことながらブッダ存命の頃を知ることは重要である。
中村先生の著作は精緻で膨大という、途方もないものだが、生涯少しずつ読み進んでいこうと思う。そうでないと、仏教はおろか宗教そのものの理解が進まないだけでなく、権力と名誉が好きな頭の弱い偽宗教者に騙され続けることになってしまうからだ。釈尊存命中の僧は、本当に糞掃衣というゴミから集めたパッチワークのような衣しか身に着けていなかった。
豪華絢爛な寺院の中でど派手な衣を着ているだけで、彼らは既に仏教者ではない。
2009年5月21日木曜日
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