2010年9月4日土曜日
ベーメは興味深い
ぼくがベーメに興味を持ったのは、ルドルフ・シュタイナーなどからドイツ神秘主義思想について調べた結果ではなく、図書館で偶然「ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元」 南原 実/著 哲学書房」を手にしたからである。
はじめの感想は「これは凄い思想家だ!」だった。
ドイツ哲学といえば、それまでは近代のフィフテやカントやヘーゲル、ニーチェなどをつまんでいただけだった。それらはキリスト教の土壌から生まれた哲学だから、東洋思想から比べるとあまり面白いという感想はもてなかった。当たり前だが、なにしろぼくはクリスチャンではないし、母国語は日本語だ。違和感のある考え方に思えた。ただ、シェリングについては少し引っかかった。
だが、南原先生の「ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元」を読んで驚いた。シュタイナーもヘーゲルもシェリングもベーメの焼き直し、あるいはそのエッセンスを頂いちゃっているなあ、と感じた。その後、ベーメの難解な本を数冊読んでみたのだが、いやいや何が書いてあるのか・・・・同じ箇所を何回も何回も読まないと分からない。はじめこれは翻訳のためにそうなのかなと思ったが、そうでもない。たとえば「宇宙の渋さ」という表現など、とにかく用語が錬金術的であることが戸惑う原因となっているのである。それで、早速図書館でヘルメス哲学やエックハルト、パラケルスス、アウグステイヌス・・・などを借りて勉強してみる。すると一般に言われているように、ベーメは無学であり、その著作は直感によるものがほとんどであるとする説が違うことに気付いた。ベーメはとてつもなく博識である。
ところが、ぼくの入門書となった南原先生の「ひらけゆく・・・」ではなく、別の著作「極性と超越」新思索社では、先生はベーメを無学な靴職人と捉えている。この本はベーメの思想がロシアなどへ幅広く伝わっていたことなどを教えてくれているのだが、どういうわけか専門家のこの先生がベーメの博識さについては否定的だった。
例えば、アウローラをぱっと開いてみる・・・82ページが偶然開いたので、そこを書き写してみる。
30 そこでサルニテルとメルクリウスは父を意味し、金は子を意味し、力は精霊を意味する。三重性のうちに三性があるのも、そのような仕方である。ただしここではすべては動き、発出する。
ここでベーメが言っている三重性は、単なる三位一体や真善美みたいな概念ではないことが分かるだろう。ベーメの発言はおそらく調べてみれば、そうとう深い裏づけがあると思う。ぼくのような凡人には理解できかねるが、直感と知性のバランスがすばらしい!
神、神と1ページに何度も神という文字を書き連ねる凡庸な神秘主義者や神学者ではない。
神、信仰と書けば神学になるわけでもないだろう。
まったくベーメは面白い。
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