「縄文のメドゥーサ」田中基著と「人に最も近い類人猿BONOBO」TBSブリタニカの二冊の本を読む、すると両者の文化が同じコンセプトにあるとすぐに気が付く。
現代社会の文化のコンセプトは暴力・競争だが、縄文時代と高度に進化した類人猿ボノボのコンセプトは性だ。そして、後者には暴力を阻止しようとする配慮が行き届いている。さらに弱者優先である。
常陸風土記に記されている「歌垣」と同様の祭りが、広西チワン族自治区に住むチワン族などに現在も伝わっている。中国思想やキリスト教などの一神教からこの祭りを見ると、なんとも不謹慎な乱交パーティということになるが、このような祭りや営みは、調べる必要がないほどに全世界に分布している。リンガ崇拝、ファリシズム、陰陽道も両性の合致ということを基本に置いているものだし、両性具有など性にまつわる思想・宗教は山ほどある。もちろん、欧米にも・・・(なぜか、フレーザーの金枝編はそれにあまり触れていないが・・・柳田国男が「常民」に逃げ込んだような理由だが・・・)
国家の定義―「民衆の性を縛ること」、政治の定義―「誰が、何を、いつ、どのように手に入れるか」ということからすると、(ちなみに哲学の定義はー森羅万象をいかに叙述するか、という態度とその叙述のこと)性を哲学的に考える必要があることに気付く。
生物ならだれでもがする性行為を一体、なぜ不謹慎、みだらなどと考えるようになったのだろう。あるいはそう考えるようにし向けたのだろう・・・誰が?何が?
2009年10月19日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿