2009年12月14日月曜日

「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」


絵はポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」1897-1898 という表題の絵である。
この言葉がグノーシス主義の教師テオドトスの言葉(140-160)をひいていることをエレーヌ・ペイゲルスの「ナグ・ハマディ写本・白水社」によって知った。(孫引きもいいところだが・・・)テオドトスは次のように記している。
「われわれは何者であったか、また、何になったのか。われわれはどこにいたのか・・・・どこへ行こうとしているのか。われわれは何からとき放たれているのか。誕生とは何か、また、再生とは何か。」

ナグ・ハマディ写本のトマス福音書は、「インドのヒンズーあるいは仏教の伝承がグノーシス主義に影響を与え得たのであろうか」とペイゲルスが書いているように、この言葉は明らかに輪廻転生を示唆している。カトリック(普遍的統一キリスト教会)が成立する以前はこうしたグノーシス主義がキリスト教の柱となっていた可能性が大きいと考えることもできるだろう。カトリックはキリスト教(キリストの教え)が中東からヨーロッパに渡った後に、ローマ帝国治下の当時のガリア地方のヨーロッパ人であるエイレナイオスによる福音書の選定など、彼が主導したキリスト教である。ヒッポのアウグスティヌスももともとはエジプト人マニ教徒であり、新プラトン主義の影響下においてキリスト教神学を建てている。

キリスト教はヨーロッパに入って後、もともとの多様性から一党独裁的カトリックに変質した。フレイザーの金枝編はそのあたりをうまく描写している。(ヨーロッパはギリシャ神話やローマ神話、ケルト神話をご存じのように多神教の世界だった。一神教はセム語族特有のものだ。ヨーロッパがアフリカに対して持っていた羨望は今も続いていると考えていいと思う。宗教学で多神教を貶め、一神教を最上位に置く考え方もその現れだろう。)

カトリックは天国と地獄、来世を教会の下で管理しようとしたのである。
同著より・・・
「グノーシス主義のもう一人の教師モイノスは、こう述べている。
『神とか、創造とか、これに類似したことを捜し求めるのはやめなさい。あなたがた自身を出発点にして、彼(究極的存在)を求めなさい。あなたがたのなかにあってすべてのことを思う通りになし、「わが神よ、わが心よ、わが思いよ、わが魂よ、わが身体よ」と言う者は、誰だあるかを知りなさい。悲しみ、喜び、愛、憎しみの原因を知りなさい。・・・あなたがたがこのようなことを注意深く吟味するならば、あなたがた自身のなかに、彼を見いだすであろう』」

 カトリックは神を人々の心と魂から追い出し、それを知るには教会が必須であるという権力主義の構築を目指した。向こうのフィールドを知る者にとって、このようなことはとても恐ろしくてできない。かれらは知らないから、こうしたことができたのだろう。知らないことほど恐ろしいことはない。存在が、人が、現世だけの現象であるならば、こうしたことも理解できるが、そうではない。こちらは明らかに鏡像的存在だ。瞑想や宗教によらずとも、近い将来には万人がこの世界の真の構造を知ることとなるだろう。

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