2010年7月11日日曜日

続・ヨセフ・ピーパー「余暇と祝祭」




未知との遭遇で死を、死を平凡なことと書きましたが・・・われわれは普段生活していて、それを他人事として、自分にはあまり関係ないかのように振る舞ったり、毛虫やヘビを見るような目つきで遠ざけ、なんとかそれに関わらないようにしようとします。

でも残念ですが、死はわれわれにとって実に平凡なありきたりの現象です。
この現象は誰にでもやって来る平凡なものであるという認識をすべきでしょう。

何も死のことではなくても、こうした勘違いは先に書いたように宗教者の思いこみや勘違いと同様、われわれの人生全般に及んでいます。
われわれは一般に大事な事と些末で良い事とを、勘違いして逆に考えることが多いのです。


そのへんのことを先に書いたヨゼフ・ピーパーは・・・・。

「形而上学的、神学的立場からいえば「怠情」とは人間が自分の本来の存在と究極的に一致しないことを意味する」

と言っています。
どういうことかと言うと、真実から目を遠ざけ物質的なことにふけってしまい、人類や自分の存在意義など気にもかけないことが、怠け者であると言っているのです。

実際、人間の胃袋も口も一つしかありません。この物質的世界に存在している期間は長くて80~90年です。
そうしたはかない存在が、物質や貨幣を独り占めしたり、威張ったり、他者や環境に暴力を振るうような行動ばかりするのは、快不快だけに囚われた知性的ではない証拠なんだよ、と指摘しているのです。人間としてもっとやることがあるのでは?・・・ピーパーはそう言っています。ためにカントのヘラクレス的労働について云々しているのです。

現代のわれわれは新聞、テレビ、雑誌が報道することに何の疑いも持たずに烏合の衆として行動する。なんと悲しいホモ・サピエンスなのだろう。サピエンスは知性という意味なのに。
エコと言われるとどんどん新製品を購入し、結果的に二酸化炭素を増やしている。製品の製造過程におけることなど考えもしない。なぜこんな簡単なことを考えられないのだろう?テレビや新聞を鵜呑み?・・・まさか、大人なら少し考えてみれば分かると思うのだが・・・・。

 もしかすると大企業の重役といえども「足し算と引き算とかけ算とわり算だけ」で、会社経営しているのかもしれない。ほんと小学生レベルだ。いやそれ以下かな、多い少ないしか把握していないのかもしれない。経営コンサルタントから気の利いた提案を受けても言いなりになったり、理解できずに誤った判断をしたりするのだろう。
だって加減乗除でしか、数字を見ることができないから。

宗教界については、ここでもう何度もやっているし、どうせ暖簾に腕押しだろう。

物事を皮相的にみないで、きちんと見て考える・・・・そうすることに、そんなに高度な頭はいらない。ちょっと考えてみる。それだけのことだ。
それすらしないで、加減乗除だけの物質観だけで人生を見る。
テレビを見ていても映像と違う解説をやられても、まったく気が付かない。コマーシャルをばんばんやられるとどうしても欲しくなってしまう。
大衆操作にサブリミナル効果なんて、高度なことはまったく必要がない。とにかくばんばんやれば、それで大衆は動くと思われている・・・・個々のセンスや人柄はとてもいいのに、大衆としてはバカ扱いされている。

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