
キリスト教国で育ったニーチェのキリスト教嫌いは、当然こういった奇特な偉大な信者たちのことを言っているのではないだろう。
道徳や慈悲や友愛をハイジャックしたキリスト教組織が嫌いなのであり、慈悲深いキリスト教徒やイエスを嫌いなわけではない。
しかしエイレナイオスの異端反駁は、他のキリスト教徒に対し、結果的に暴力的権力を振り回し、組織力を後ろ盾にした排他的戦闘的なカトリックを構築してしまった。ミイラ取りがミイラの諺通りだ。キリストの意味はヘブライ語のmesiah をギリシャ語の christos (香油を注がれたる者)と訳したことからきている。mesiah-メシアの意味は紀元前後のユダヤでは神・救い主という大きな意味ではなく、ユダヤの律法を守るリーダーほどの意味だ。
もし、リヨンの司教エイレナイオスの排他的・独占的・暴力的なカトリックの構築がなければ、現在のキリスト教はもう少し懐の深い、味わい深い愛を提唱し続けることができただろう。なぜなら上に記したように当時のキリスト教徒は本当に偉大だったのだ。
絵はエイレナイオスである。
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