『エジプトのアレクサンドリア、アンティトキア、カルタゴ、そしてローマそれ自体―は現在と同様、世界中から集まった人々でごった返していた。これらの都市を取り巻く貧民街の住人はしばしば、物乞いや売春、窃盗などによって生き延びようとしていた。だが二世紀のキリスト教主導者テルトゥリアヌスによれば、他の集団や団体が祭礼のための布施や謝礼を集めていたのに対して、キリスト教の「家族」は自発的に金を共有資金に寄付し、路上やゴミ捨て場に棄てられた孤児たちを援助していた、という。キリスト教徒の集団はまた、鉱山で重労働させられたり、牢獄島に追放されたり、監獄に入れられたりしている囚人たちに食料や薬を届け、親しく交わっていた。キリスト教徒の中には、本来なら城壁の外に屍体を投げ捨てられる貧しい者や罪人のために棺を買い、墓を掘ってやる者までいた。』(禁じられた福音書・ナグハマディ文書の解明 エレーヌ・ペイゲルス 松田和也訳 青土社)
キリスト教国で育ったニーチェのキリスト教嫌いは、当然こういった奇特な偉大な信者たちのことを言っているのではないだろう。
道徳や慈悲や友愛をハイジャックしたキリスト教組織が嫌いなのであり、慈悲深いキリスト教徒やイエスを嫌いなわけではない。
しかしエイレナイオスの異端反駁は、他のキリスト教徒に対し、結果的に暴力的権力を振り回し、組織力を後ろ盾にした排他的戦闘的なカトリックを構築してしまった。ミイラ取りがミイラの諺通りだ。キリストの意味はヘブライ語のmesiah をギリシャ語の christos (香油を注がれたる者)と訳したことからきている。mesiah-メシアの意味は紀元前後のユダヤでは神・救い主という大きな意味ではなく、ユダヤの律法を守るリーダーほどの意味だ。
もし、リヨンの司教エイレナイオスの排他的・独占的・暴力的なカトリックの構築がなければ、現在のキリスト教はもう少し懐の深い、味わい深い愛を提唱し続けることができただろう。なぜなら上に記したように当時のキリスト教徒は本当に偉大だったのだ。
絵はエイレナイオスである。
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