「日本語はいかにして成立したか・大野晋著・中公文庫」から
「古事記の本文の万葉仮名を精しく調べると、古事記には、八十七よりも一音節多い八十八の音節の書き分けがある。一つ多いのは、万葉集にも日本書紀にも見られないその二つの区別、「毛」(甲類)moと「母」(乙類)mö の書き分けがあるからである。・・・・これは八十七音節を区別した万葉集の音韻体系よりも一時代前の音韻状態を反映するものである。かように古事記にモの甲類乙類の区別があるのに、万葉集にはその区別がないという事実が、どうして古事記が一時代前の音韻状態を記録していることになるのかを説明しよう。」
として、「オ列音甲類乙類の区別の意味」で精緻な説明がなされている。もちろん説得力のある研究であり、納得がいく。古事記の最も古い写本は真福寺写本であり、1371~2年に書写されたものだ。この時代には既にカタカナや句読点が一般化されていたにもかかわらず、あえて原本の通りに書写している。原本を後世に残さんとする書写した真福寺の僧たちの心意気が伝わってくる。
ということから、ぼくは出雲文字による「イツコリ文書」の神名を主に古事記によって表記したが、やはり間違っていなかったと思う。賀茂真淵先生には申し訳ないが、古事記はやはり和銅五年、西暦712年・・・ということでいいのではないかと思う。弥生時代の検証にはやはり古事記は欠かせない。だから古事記をきちんと読みたい。
2009年2月15日日曜日
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