2009年3月26日木曜日

魏志倭人伝

倭国と倭人については『三国志』魏書東夷伝倭人条」の中で軽くふれられているにすぎない。それに距離の説明などあまり正確ではないと指摘されている。だが後漢書倭伝とこの資料が三世紀頃のこの列島を知る第一級の史料ではある。
さて、一般にこの列島には中国や朝鮮からたくさんの人々が渡ってきており、その人々が弥生時代の幕開けをしたということになっているが、魏志倭人伝には、なぜその記述がないのだろう。言語学の本を読むと日本語は中国語とは異質なものであり、朝鮮語とはアルタイ語族で同族ということになっているが、大野晋先生によると対応する単語がほとんどないことから、朝鮮語とはかなり遠いらしい。もし朝鮮半島から大量の人々が流入していたとしたら、その中継基地は当然対馬ということになる。しかし魏志倭人伝はこの対馬から始まっている。ここは朝鮮とは関係のない倭国であるということだ。また元と高麗の連合軍がこの対馬を攻め、1019年の刀伊の賊の襲来があった。ここは半島の勢力範囲ではなく、倭国であったからだろう。
 おそらく、中国や朝鮮の人々が大挙して来たというのではなく、文化や慣習が入ってきただけなのではないだろうか。だから、弥生人も蝦夷ももともとこの列島に住んでいた人々だろう。つまり、そのルーツは縄文人ということになる。もし外国からたくさんの人の流入があったなら、中国の史書にそのことが少しくらい書いてあってもいいだろう。魏志倭人伝は冒頭から、もの珍しい外国紹介というスタンスだ。卑弥呼や台与のことや倭国大乱よりも、風俗に重きを置いているように読める。とるに足らない小国・・・。日本人として残念だが、その程度の描写だ。中国や朝鮮からたくさんの人が移住していれば、もう少し違う書き方をしていただろう。

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