2009年2月12日木曜日

埼玉県稲荷山古墳から出土した剣の銘

日本語はいかにして成立したか・大野晋著・中公新書から「たとえば、埼玉県稲荷山古墳から出土した剣の銘に「獲加多支鹵」と書いてあるが、これに、中国の3、4世紀頃の東晋時代の南方の発音をあてはめると、ワカタケルと読むことができる。・・・このように漢字の音によって日本語を写した例については、それが中国の、どの時代の、どの地方の発音に依っているかを吟味すれば、それによってその日本語の音を知ることができる。先に挙げた「獲加多支鹵」の場合には、中国の東晋時代の南方音をあてるから、「支」にケの字をあてて、これをワカタケルとする。しかし、「魏志倭人伝」の中の「弥馬獲支」においては「支」の字にキをあてて、ミマワキとよむ。というのは、「魏志」のこの部分は中国の北方の音によって日本語の音を写したと考えられるので「支」の字の北方音を求めると、キにあたる音だったと推定されるからである。」

イツコリ研究で、以前ここで「獲加多支鹵」をワカタキルと読む場合もあるとご紹介したのだが、どうやらやはり「支」はケと読むべきでやはり稲荷山古墳から出土した剣は雄略天皇(おおはつせわかたけるのみこと)と関係したものでしょう。訂正致します。

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