2009年2月25日水曜日

最近考えていることなど・・・

一般には「機織り・金属使用・水稲耕作」の三点がこの列島で行われるようになった時期を弥生時代の開始としている。しかしこのブログでご紹介したように、この三点セットは紀元前千年に遡るという研究がなされ、それでは縄文晩期と重なってしまうということから、大野先生や国立歴史民俗博物館で弥生時代の開始時期を紀元前千年にしようという提唱がなされている。
リーラーはこのことについては反対の立場をとる。この列島での戦争は、はじめ玄界灘沿岸で始まったと考古学はその研究から推定しているが、その時期は紀元前三百年頃だ。その時代・・・戦争が始まった時期から弥生時代が始まった。それでいいと思う。縄文時代に鉄器の使用があっても、水稲耕作があっても、機織りがあっても、当時は戦争がなかったのだから縄文時代である。
というのはリーラーでは戦争の開始時期をもって弥生時代の開始と考えているからである。だから、弥生時代の開始時期はやはり紀元前三百年頃でいいのではないか。

 猿人が進化して、動物から一つぬきんでた存在になったのはいつ頃だろうか・・・つまり人間の定義だが、これまで言語の使用、火の使用、道具の使用、また直立二足歩行などいろいろ考えられてきたが、イルカやクジラやサルなども言語といってもいいほど高度な意思表示ができるし、道具だってカラスなどの鳥類も使う、またボノボの研究では火の使用もさほど人間に特有なものではないらしいことが分かってきている。
では、人間と動物の違いは?
結論から先に言うと・・・・貨幣と墓がコンセプトであるという論議がなされているが、貨幣は人間特有のものではないだろう。貨幣もいってみれば道具にすぎない。
となると残るは墓である。なぜ人間は墓を作るのだろう、考えてみたことがあるだろうか。
古代の墓というとピラミッドや前方後円墳など、権威の象徴としての即物的なばかでかい墓を想像してしまうが、そうではなく、なぜ墓を作るようになったのかという点に注目すると人間と墓の関係が明瞭になるだろう。
簡単である。墓を作るようになったのは、人間が進化して新しい能力を身に付け・・・死の世界・・・リーラーの表現では向こうのフィールドを意識できるようになったからだ。あの世に象徴される「向こうのフィールド」に対する意識だ。それを持つようになったから、人間は墓を作るようになったのだろう。
つまり、人間と動物の違い(脳の容量や形態的なことではなく)は、数百万年の進化の末に、向こうのフィールドを垣間見ることができるようになったことに由来するのではないか。リーラーは現代、このせっかくの進化も即物的な原始的な唯物論によって、失われつつあると危惧している。
そう、動物と人間の違いは向こうのフィールドを強く意識できるか否かということではないだろうか。

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