2009年3月23日月曜日
リーラー研究所から転載「唯物論の思い上がり」
我々人類が太古から培ってきた精神や心、また宗教や芸術を全て脳のシステムやネットワークだと言って、数学的に片づけてしまうのはどういうものだろうか。ドンキ・ホーテならまだしも立派な学者のやることではない。また複雑系の学者であるV・Sラマチャンドラは芸術も複雑系で処理できると豪語するし、数学的に処理できない宗教など考えるにも値しないと考える学者もいる。これは思い上がりだ。かつて、科学は初期条件をきちんと把握できれば予測は100パーセント可能だと考えていたにもかかわらず、科学自らがこれをひっくり返して、そんなことは不可能だと宣言するようになったではないか。科学が生命や脳、精神や心・宗教・芸術を軽々しく数学処理できると考えることは危険である。なぜなら、科学が発達してきてからまだ1000年にも満たない。しかも新しい発見や、定理によってくるくるとしゅっちゅうその態度を変える。まったく信用ならない代物である。数万年、数十万年の蓄積を持つ科学ならばある程度信用できるだろうが、まだたった1000年である。人類の600万年の歴史からみると1000年は6000分の1の時間である。
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