哲人聖人からみれば、あたかも無為な一生を送るわれわれ凡人は、大学で学んでも読書や思索の習慣などとはほど遠い遊興の徒として日々を過ごすだけ。読むと言えば雑誌・マンガ、そしてテレビの放映をそのまま鵜呑みにし、自分が烏合の衆であることを意識もしない。皆が笑えば自分も笑う。皆が食べれば自分も食べる。ただただ日々に追われ、皆がゴルフをやれば自分もクラブを買い、皆がワインを飲めば自分もワインを飲む。少し余裕ができればローンで高級外車を買い、「ああ、もっと金さえあれば・・・」と嘆息する毎日・・・休暇にすることと言えば、渋滞と混雑の中、皆が行く処へ行き、皆がすることと同じことをする。常に態勢の動向が気になる。自然破壊につながろうと、人間の尊厳を貶めようと、皆がそうすれば自分も皆と同じことをする。同じことだけをするということは、考えも同じ・・・・つまり自分で考えない。右向け~・・・自分も右向く、左向け~・・・自分も左を向く。それが意志の疎通や秩序だと錯覚する。
複雑系はそれを見事に解き明かしているかに見えるが・・・サンタフェのカウフマンに自己組織化といわれれば、なるほどそういうものかとも思うが、組織化のすべてがいいわけではない。自滅への道に至る組織化だってある。自虐的組織化もある。そしてマネーと権力の増大だけをもくろむ品のない輩がその組織化をうまく利用している。つまり人間の組織は複雑系のいう自己組織化ではない。その品のない輩が暴力とマネーによって作り出す不自然な組織化だ。放っておいて自然にできる組織化こそ、複雑系的自己組織化と言えるだろう。オーストラリアの先住民のアボリジニはバンドの移動の際、オピニオンリーダーに従うわけでもなく、また会議をするわけでもなく、なんとなく移動が始まるそうだが、そうした無形の力が働く動きが自己組織化だろう。蜂がトランシーバーで連絡を取りながら巣を作っているわけでもないのに、その巣はきちんとできる。そうしたことではないだろうか。
2009年4月22日水曜日
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