冒頭から・・・観自在菩薩行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 ・・・この次が「一切の苦厄を度したまえり」なのだが、これは唐突すぎる。後半部の即説呪曰・・・・羯帝羯帝・・・の呪を唱えた後の「度一切苦厄」ならば、順序からいっても流れからいっても自然だが、「五蘊皆空」の後に突然では困ってしまう。分からないまま「度一切・・・」となる。伝統的解釈と学問的解釈が乖離していることも、この語句を考えるうえで重要だが、原典にこの「度一切苦厄」はない。
「照見五蘊皆空 舎利子 色不異空」・・・・と続くならば、確かに不自然さはないと思う。「五蘊は皆、空なのだよ、なあ舎利子よ、さらに存在とはなゼロの概念である空に異ならない・・・だから存在はもともと空と言えるのだ・・・・さて、そういう意味から・・・・」
この経は釈尊と舎利子の対話というシチェーションだ。
そうした意味合いから、ぼくは「度一切苦厄」に曲を付けるのをためらった。
そうしたことから、「symphonic 般若心経」の一番と二番に続いて、第三番は、「舎利子よ・・・・」と釈尊がサーリプトラに語りかけることから曲を起こした。
2009年7月27日月曜日
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