2009年8月8日土曜日

やはり「度一切苦厄」に曲をつけます。

「度一切苦厄」が原典にないだけでなく、この経典の流れから見るとその唐突さに違和感を覚えるという意味から、このフレーズには曲を付けないつもりだと宣言してしまったが、やはりこの語句は必要ではないかと考えるようになった。グノーシス思想のプレーローマのことではないかとの思いからである。プレーローマは浄土、あるいは涅槃のニュアンスがあるだろうが、ブッダの継承者としてイエスを考えると、またマニ教との関連を考えると・・・プレーローマの階層性には疑問を感じるが・・・それを六道の階層性と考えることもできようが・・・つまり、アウグスティヌスはマニ教の信者でありエジプト人であったがために、新プラトン主義に傾倒し、グノーシスを排斥してしまい、結果的にブッダとイエスの関係性を完全に絶ってしまったことになる。これは知で知を覆ったために、解きほぐすには大変難しいことだろうが、為したことは結局、エイレナイオスと同じだったのだ。「度一切苦厄」は空観思想を大衆化しようとする語句であり、われわれ凡夫が空観を知る端緒となるということになるのではないかと・・・・。「度一切苦厄」はおそらくは中国で挿入された語句なのだろうが、中国がかつてネストリウス派の大国であったことを知ればそれも納得がいくのではないだろうか。 大分端折って書いてしまったが、とりあえずこうした考えを「度一切苦厄」に曲を付ける理由とした。ルカ伝でサウロがパウロと呼ばれるようになった西暦紀元70年頃から中国の唐の時代までを俯瞰してみるとよく分かるだろう。

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