第三番まで次のような解釈のもとに曲を書いています。
この経典を12に分け(一月から十二月)、最後にGate gate paragate parasamgate bodhisvaha
の呪を置くつもりです。
第一番 観自在菩薩行深般若波羅密多時
プロローグ・・・観自在菩薩が般若波羅密多の深い瞑想に入った時・・・・・
古代は人が怒っている様を見て、彼には怒りの神が付いると表現することがある。同様に観自在菩薩もそのような表現の一つだ。森羅万象を自在に純粋に見ることができる、という能力の神格化であり、特定の人物ではない。この冒頭の句は、観自在菩薩と共になれば(深い瞑想に入れば)、誰でもが森羅万象を的確に見ることができると言っている。観自在菩薩には力強いパワーがある・・・荘厳さとともにこの第一番を書いた次第だ。
第二番 照見五蘊皆空
そして、その時、観自在菩薩は根源粒子が集まった物質的存在物は、すべて空であると喝破した。物質は・・・分析すれば色受想行識物質(肉体・感受作用・想念・意思・認識の種類の集まり)(蘊は集まりという意味)であり実在するかに見えるが、そうではなくその集まりは実在しない空なのだと悟った。空はサンスクリット語でもともと数学的にゼロという意味だ。ここでは空間さえも無い「無」の意味でもいいだろうが、虚無という表現のほうがより近いかもしれない。なぜならここまででは、五蘊皆空と認識する自分があるので、「無」ではない。その自分も滅却してしまえばゼロなんだろうが、まだ「空」を考えている自分がいるのでゼロではない。だから虚無という表現がより近い感じがする。
第三番 度一切苦厄
「一切の苦厄を度したまえり」・・・この語句は貝葉般若心経原本(東京国立博物館所蔵法隆寺貝葉経)にはなく、中国あたりで恣意的に挿入されたものだろうが、(玄奘三蔵が挿入したと信じられている。)この経典の、「空観が一切の苦厄をはらう」というテーマの説明句になっている。一切の苦厄がはらわれた状態、ある意味では浄土や涅槃を表しているとも考えられる。グノーシス思想ではプレーローマという解釈になるだろうか。
そして、観音菩薩(仏陀)は次に「舎利子色異空空不異色・・・」とシャーリプトラにゆっくりと問いかける
「シャーリプトラよ・・・・・」。
2009年8月13日木曜日
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