今日から二十日間、休みを取ってから子会社に移ります。
なぜか、この仕事を二十五年やってしまいました。休み中は「交響詩 般若心経」に重点を置くつもりです。
本当は青森の三内丸山遺跡や秋田の大湯遺跡など、東北の縄文遺跡を巡りたかったのですが、家内に負けて、十日ほどイギリスへ行くことになりました。
さて、若い頃夢中になったサンスクリット語はもうまったくの初心者同様なので、再び勉強を始めました。印欧語と分類されるように、ドイツ語やフランス語や英語はサンスクリット語から派生したもののため、般若心経も英語などで翻訳されたものの方が漢訳や読み下し文だけと格闘するよりは、理解の手助けになります。漢訳仏典で躓いたら、英訳に目を通すべきでしょう。サンスクリット語は関係代名詞でくくったりする日本語にはない表現をしますが、英語にもこうした表現はたくさんあります。ホントよく似ていると思います。サンスクリット語原典→漢訳仏典→日本語読み下し文・・・この間に原意とかけ離れたニュアンスが出現してしまい、誤った解釈や意味不明の説明がまかり通るようになってしまっているようです。たとえば「色即是空」などいい例です。この漢訳から「色・存在・物質・身体など)は空である」とよめますが、「空?一体それ何んなんだ?」と問うと、偉い坊さんに「何もないことじゃ!」などとバーンと論理不毛のシャッターをおろされるだけです。もちろん、そうした偉い有名な坊さんは、空の説明をほとんど思いつきだけで説明しているように思えます。
色と空の関係は all things are characterized by emptiness あるいは all things are possessed of emptiness であり、色即是空は What is form that is emptiness でこのformはall things です。つまり物質は空の性質があると言っているわけで、「何もない」というニュアンスではなく、空性を持っているということになります。「では空性とは?」ということになり、考えを進めることができるようになります。「空じゃあ!」などとヒステリックに叫ぶことは「閉店じゃあ!」とシャッターをおろして思考を回避してしまうことと同じです。ちなみにここのサンスクリット語はsunyata で 名詞です。 形容詞はsunyaとなります。
これをええと、Monier-Williams のsunyataを調べると(この辞書40年くらい前インドから取り寄せたのですが、当時何万円もしました。ふーっ、変なことを思い出しました・・・)、emptiness ,lonliness,desolateness と書いてあります。なんだか面白いです。desolateness は荒れ果てた住む人もない・・・というような意味です。なんか、色即是空の「空」は荒涼とした悲しい映画の一場面を思い浮かべてしまうような錯覚にとらわれます。「映画?空って哲学じゃないの?」そう言われてもしかたありませんが、どうやら豪華絢爛な伽藍とは関係ないようですねえ。ジャズのLonely womanという歌の方がより近いんじゃないの?
・・・・と「空」を考える次第です。
2009年8月29日土曜日
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