2009年9月1日火曜日

「般若心経の音楽的解釈の試み」

般若波羅密多心経(彼岸への到達)は、一切の存在、現象、表象、人間の認識作用が現実に色(Form)として実在しているのではなく、PC上のソフト、あるいは脳細胞上に構築されたニューラル・ネットワークの様なものである、と説いているのではないか。この世界は情報だけで、実際に実在しているものではないから、それを空性と表現するのだろう。
色不異空 空不異色 空即是色 色即是空 是諸法空相と繰り返し繰り返し、空である、空の性質である、存在していないのだ、と説きながら、しかし、そのソフトを乗せて動かしている実在が存在するとも言っているようにも思える。
ではその実在している存在がどこにあるかというと、この此岸の世界ではなく彼岸にあると言っているようだ。つまり、この経では存在(色)は空なりと存在を否定しているが、実は存在は実存するという逆説めいた論理のようにも考えられる。そして・・・その場所は彼岸である、と。


この組曲の題名を「般若心経の音楽的解釈の試み」にしようかと思い始めている。構成は次の通りである。

Prajñâ (般若・智慧) Pâramitâ (彼岸への到達)

Prologue 観自在菩薩 
人類の各自の内にある世界を自在に見ることができる聖なる観自在菩薩が見極めた。

第一番 照見五蘊皆空
存在の形態(五蘊)は存在する。だがその性質は空性である。

第二番 度一切苦厄
(この教えは)一切の苦厄を度したまう。

第三番 色即是空
色とは空性を持つ。

第四番 是諸法空相
この宇宙の一切の法則は空性という特徴を持つ。

第五番 無受想行識
だから受(感覚)がなく、想(認識)がなく、行(意志)がなく、識(理解)がない。

第六番 無無明 
悟りも無明(迷い)もない。

第七番 心無罣礙
心を覆うものもない

第八番 得阿耨多羅三藐三菩提
よって、完全なる悟りに達した。

第九番 是大神呪
これは大いなる般若波羅密多の真言(マントラ)である。

第十番 故説般若波羅密多呪
般若波羅密多を意味して説かれた真言である。

第十一番 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦
到達者よ 到達者よ 彼岸到達者よ 完全な彼岸到達者よ

第十二番 菩提娑婆訶 般若心経
悟りに幸いあれ!ここに般若波羅密多の心の経が完結される

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