ローマ教皇庁は1616年に、コペルニクス説を禁ずる布告を出した。当時すでにコペルニクス説は巷間にあった。地動説は当時のキリスト教地域においてまさしく驚天動地のことだったろう。その衝撃は現代のわれわれには想像もつかない破壊力をもったものだった。
これまでは、この世界には天蓋のようなものがあり、そこに星辰が散りばめられ、雲のかなたでは天使が飛び交い、その最上ではヤーウェの神が人々を見下ろしており、神も天使も仰ぎ見ることができる身近な存在だった。
ところが、その天蓋が取り払われ、天は見ることも知ることも叶わぬ無限の高さとなってしまった。底知れぬ高さである。その高さは神や天使と人間を結びつけることを拒絶する。虚無感や喪失感が人々を襲ったに違いない。神の座する天蓋がすっぽりなくなってしまい、無限の高さに消えてしまった。
今まで雨露をしのいでくれた家の屋根が抜けてしまい、頭上がいきなり、仰ぎ見るかぎり無限の高さの虚空となってしまった。それは恐ろしいことだった。地動説はだから、教会にとっても、一般の人々にもとうてい受け入れがたいものだった。
・・だが、それはどうやら真実らしい。神の座する天蓋はない。天空はとてつもない高さ、底なしの高さまで無限に続いている・・・・・。信仰厚き人は驚き、落胆し、虚無感に襲われ、神の再認識無しには信仰を維持できなくなった。コペルニクス説はこれまでの世界観を一変させてしまった。神と世界の再構築が必要となったのだ。
だが、その説を認めれば異端審問にかかる。 だからノストラダムスはその表現を曖昧にせざるを得なかった。 魔女狩りの最盛期は1567~1640で、この時代は狂った聖職者たちと、狂った人々がたくさんの殺人と拷問を行っていた。
コペルニクスは1473年 - 1543年の人で、ルターやノストラダムスと同時代だ。
ヤコブ・ベーメは100年後の時代だが、彼の著作の背景にはコペルニクス説の強い影響があっただろう。ベーメの認識様式にそれが現れているように思える。「自然の外なる底なしのなか、永遠のもとにおいては本体の静寂あるのみ、あらしむるものは何ものもなく、永遠の静けさ。それと等しいものはなく、始まりもおわりもない底なし」(キリスト、人となる)・・・「こうして、最初の意志は底なしであって、永遠の無と・・・・さて自然界の外にある永遠の底なしを、私たちは鏡とみる。」(神智学)
こうした認識様式から彼は、ナグハマディ文書にあるようなグノーシス的な世界観を構築していったのだと思う。しかし、彼は敬虔なルター派だったからグノーシス文書を知るよしもなかっただろうが、驚いたことに彼の著作はグノーシスに酷似している。 現代の学者はベーメをグノーシス思想家としてみている。
ぼくはもちろん専門の研究者ではないが、彼が言おうとしていたことは・・・あまりに難解で歯が立たない部分もあるが・・・太古から通奏低音のように流れる人類の基層文化を表しているのではないかと、感じている。またぼくは個人的に彼の見たビジョンや構築した神秘主義的思想に対して親近感を抱いている一人である。彼はラテン語やギリシャ語の専門家ではなく、母国の話し言葉によって壮大な著作を著した。美辞麗句とは無縁の人であり、学閥や出身や身分や、嫉妬や足の引っ張り合いとも関係がない。そう言えば、歎異抄を書いた唯円も、鳥追いの唯円である。
真実を語り、毀誉褒貶で仕事をするわけでもない。だからニカイア会議に出席したキリスト教司祭や、学界の親分にへいこらしているガイスト貧乏人とは訳が違う。
16世紀以降、地動説とキリスト教の問題は未だ解決されていないように思える。中途半端なままだ。そして現代に至っても伝統的な解釈よりも、ベーメの考え方の方がずっとすっきりしている。そう思うのはぼくだけではないだろう。
これまでは、この世界には天蓋のようなものがあり、そこに星辰が散りばめられ、雲のかなたでは天使が飛び交い、その最上ではヤーウェの神が人々を見下ろしており、神も天使も仰ぎ見ることができる身近な存在だった。
ところが、その天蓋が取り払われ、天は見ることも知ることも叶わぬ無限の高さとなってしまった。底知れぬ高さである。その高さは神や天使と人間を結びつけることを拒絶する。虚無感や喪失感が人々を襲ったに違いない。神の座する天蓋がすっぽりなくなってしまい、無限の高さに消えてしまった。
今まで雨露をしのいでくれた家の屋根が抜けてしまい、頭上がいきなり、仰ぎ見るかぎり無限の高さの虚空となってしまった。それは恐ろしいことだった。地動説はだから、教会にとっても、一般の人々にもとうてい受け入れがたいものだった。
・・だが、それはどうやら真実らしい。神の座する天蓋はない。天空はとてつもない高さ、底なしの高さまで無限に続いている・・・・・。信仰厚き人は驚き、落胆し、虚無感に襲われ、神の再認識無しには信仰を維持できなくなった。コペルニクス説はこれまでの世界観を一変させてしまった。神と世界の再構築が必要となったのだ。
だが、その説を認めれば異端審問にかかる。 だからノストラダムスはその表現を曖昧にせざるを得なかった。 魔女狩りの最盛期は1567~1640で、この時代は狂った聖職者たちと、狂った人々がたくさんの殺人と拷問を行っていた。
コペルニクスは1473年 - 1543年の人で、ルターやノストラダムスと同時代だ。
ヤコブ・ベーメは100年後の時代だが、彼の著作の背景にはコペルニクス説の強い影響があっただろう。ベーメの認識様式にそれが現れているように思える。「自然の外なる底なしのなか、永遠のもとにおいては本体の静寂あるのみ、あらしむるものは何ものもなく、永遠の静けさ。それと等しいものはなく、始まりもおわりもない底なし」(キリスト、人となる)・・・「こうして、最初の意志は底なしであって、永遠の無と・・・・さて自然界の外にある永遠の底なしを、私たちは鏡とみる。」(神智学)
こうした認識様式から彼は、ナグハマディ文書にあるようなグノーシス的な世界観を構築していったのだと思う。しかし、彼は敬虔なルター派だったからグノーシス文書を知るよしもなかっただろうが、驚いたことに彼の著作はグノーシスに酷似している。 現代の学者はベーメをグノーシス思想家としてみている。
ぼくはもちろん専門の研究者ではないが、彼が言おうとしていたことは・・・あまりに難解で歯が立たない部分もあるが・・・太古から通奏低音のように流れる人類の基層文化を表しているのではないかと、感じている。またぼくは個人的に彼の見たビジョンや構築した神秘主義的思想に対して親近感を抱いている一人である。彼はラテン語やギリシャ語の専門家ではなく、母国の話し言葉によって壮大な著作を著した。美辞麗句とは無縁の人であり、学閥や出身や身分や、嫉妬や足の引っ張り合いとも関係がない。そう言えば、歎異抄を書いた唯円も、鳥追いの唯円である。
真実を語り、毀誉褒貶で仕事をするわけでもない。だからニカイア会議に出席したキリスト教司祭や、学界の親分にへいこらしているガイスト貧乏人とは訳が違う。
16世紀以降、地動説とキリスト教の問題は未だ解決されていないように思える。中途半端なままだ。そして現代に至っても伝統的な解釈よりも、ベーメの考え方の方がずっとすっきりしている。そう思うのはぼくだけではないだろう。
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