歴史を正しく知らないと、大きな間違いを犯すことになってしまい、白を黒、黒を白と全く間違った判断につながってしまうことになる。
例えば、あなたが来週一緒に食事することになっているAさんという人について知りたいと考え、Aさんの書簡やAさんの書いたものやAさんの家族、仕事について調べてみた。Aさんの日記も読んでみる・・・これは思考実験だから、人の日記を読むことは悪いことだなどとは考えなくてよい。あくまでもたとえである。
ところがである。Aさんについて集めたつもりの資料が実はBさんのものだったらどうだろう。Aさんのものだと信じていたから、Bさんについてだとは夢にも思わない。
実はBさんは常習の犯罪者で、その日記には次のようなことが書いてあった。
×月×日 空き巣に入ったら、家人がいたので殺して金品を奪った。
×月×日 タクシーに乗って、お金がなかったからハンマーで運転手を殴って気絶している間に逃げた。
×月×日 もう、何人殺したか覚えていないが、自分の欲望のために殺人はしようがないことだと思う。
などなど日記に書いてあった。また家族は無く、定職にもついたことがなく、刑務所を出たり入ったりであった。
あなたはAさんのことだと頭から信じて、Bさんの資料を調べていた。
さあ、このケースは如何なものだろうか。Aさんに対してどんな感想を持つだろう。
あるいはAさんを迫害しようとしている人が書いたAさん評を読んだらどうだろうか。
いずれの場合もAさんに対して、良い印象を持てるわけがない。一緒に食事をするなどとんでもないと考えるだろう。
さて、歴史についても同様のことが言える。正しい歴史を知らないと、あるいはきちんとした歴史観を持っていないと、他人が言ったこと、他人が判断したことや他人が書いたりしたことを鵜呑みにして、それが正しいと信じてしまうだろう。
我が国のことにしても・・・・縄文時代、弥生時代、古墳時代、鎌倉時代、江戸時代、現代・・・その様相は外国のように違う。言葉も環境も大分現代とは違う。
また現代の視点だけから、歴史を見ることも危険である。当時の衣食住、生活の営み、考え方・・・まるで違うのだから。
日本の歴史を間違って解釈していたら、違う日本となってしまい、自分が違う歴史の上に立脚することになってしまい、自分のアイデンティティを失うこととなる。Aさんの日記だと思って読んでいたら、それは実はBさんの日記だった・・・・歴史観においてだってそうしたことは言えるだろう。
2010年1月20日水曜日
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