下記でニーチェの「キリスト教は邪教である」について引用しましたが、ぼくはニーチェとは見解を異にしています。お間違えなく!
もちろん、ぼくは邪教とは思ってはいません。心根豊かなクリスチャンをたくさん存じています。
ただ、キリスト教の前身とも言えるユダヤ教やミトラ教、回教の前身とも言えるマニ教が存在していることは事実です。そうしたセム語族系の宗教はさらにその前にゾロアスター教があり、インドのヴェーダの教えがあり、古代エジプトの宗教があることも確かです。
だからと言って、頭の固い学者のように、またアーリア人であることを異常に誇りに思うニーチェのように、こうした学術的な裏付けがあるからキリスト教は・・・というような論理には与しません。
ニーチェは・・・紀元前数千年にコーカサスあたりから南下して、現在のドイツ方面に移動したアーリア人をドイツ人の源流と考え、現在のイラン、イラク、トルコで隆盛を誇ったゾロアスター教(ツァラストラ教)が大好きになりました。アーリア人の多くはさらに南下してパキスタンを経て、インドに至りました。
もしニーチェが古いものを尊いと考えるのならば、アーリア人を尊ぶのは間違っています。
人類の最も古い故郷は明らかにアフリカです。古いということを根拠にをおけば、リチャード・リーキーたちが発見した人骨こそ人類としてもっとも尊いことになります。人類がアフリカからヨーロッパに進出したのは数十万年前であり、最初にヨーロッパに渡った人類は寒さに適応できず絶滅したようです。
さて、現在ではゾロアスター教の研究はインドのリグヴェーダとの対照によって多く行われているようです。
ニーチェの思索は大変に深いものでありますが、決して超人でもなければ、宇宙人でもありません。図書館にずらっと並べられた西洋的哲学全集を見ても、その一隅の哲学者にすぎません。
キリスト教を邪教だと考えることは一向にかまわないのですが、残念なことに、彼は真に宗教を考えるアプローチを知らなかったと思います。
では、真に宗教を考えるアプローチとは?
ということになりますが、歴史・哲学などの学問とは別のグノーシス的なものではないかと思います。insight・・・洞察というか、この世界を二元論として考えることなしには叶わないでしょう。さらに、もう一歩踏み込むならば、社会学や哲学、心理学、歴史といったアプローチではなく、そうした数学や記録などもかすんでしまうような、もっと大きな力を考えるべきです。
はいそこで、次の連鎖的質問となります・・・・では、もっと大きな力とは?
それは、この世界の存在にはその本質や背景があり、こちらの世界を鏡像のようなものと考えてみることだと思います。
もちろん、そうしたことは最先端の検知器にもひっかからないので、物理的に理解しようとしても、無理です。
無理?・・・・それでは、戯言にすぎないではないか!
はい、まったくその通りです。とりあえず、そうお答えしておきましょう。
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