この本は意味深長な本であると思う。ルネ・デカルトやフランシス・ベーコンは*****と距離を置いており、政治的にも思想的にも保身的な臆病者のように書いているような気がする。ベーコンはジェームス二世に気に入られようと必死だったとしており、デカルトについてはバイエ著「デカルトの生涯」を牽いて1618年ドイツでかのファルツ選侯帝軍に向かって進軍するバイエルンの軍に入りそのままカトリック帝国軍に合流したことを声高に言い、どういうわけか、さらに平凡な夢想家のようなイメージで捉えようとしている。もちろん170頁で「いかにも偉大な哲学者にふさわしい。」と持ち上げていることも不自然だ。イエイツの意図がどこにあるのかよく分からない・・・というより、その意図が逆に浮き彫りになっているのではないかとさえ思ってしまう。
この本に何か釈然としない何かが漂うのは、何か訳があるに違いない。訳者があとがきで述べているように、例えばこの時代の思潮を象徴する一人であるヤコブ・ベーメについてはわずか二行しか言及していない。(もちろん、ぼくがヤコブ・ベーメが好きだからというわけではない)登場人物を慎重に吟味して書かれたような気がする。1567~1640に吹き荒れたあの恐ろしい魔女裁判にも触れていない。図は ドミニコ会士で異端審問官であったハインリヒ・クラマー(Heinrich Kramer)とヤーコプ・シュプレンガー(Jacob Sprenger)によって書かれた魔女に関する論文の表紙である。
この本に何か釈然としない何かが漂うのは、何か訳があるに違いない。訳者があとがきで述べているように、例えばこの時代の思潮を象徴する一人であるヤコブ・ベーメについてはわずか二行しか言及していない。(もちろん、ぼくがヤコブ・ベーメが好きだからというわけではない)登場人物を慎重に吟味して書かれたような気がする。1567~1640に吹き荒れたあの恐ろしい魔女裁判にも触れていない。図は ドミニコ会士で異端審問官であったハインリヒ・クラマー(Heinrich Kramer)とヤーコプ・シュプレンガー(Jacob Sprenger)によって書かれた魔女に関する論文の表紙である。
前半部分と後半部分のトーンがずいぶんと違ってくるのに気付かない者はいないだろう。そのズレはすれ違い程度ではなく、ほとんど違う論調だ。巻末に「コンフェッシオとファーマ」が収録してあるが、扱いは21世紀に読むマルクスの共産党宣言のようだ。
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