2010年2月24日水曜日

映画「ザ・リーダー」を見て・・・


「第 2次世界大戦後のドイツ、ミヒャエル少年15歳は病にかかり、たまたま通りがかったハンナ36歳に助けてもらいます。そのことから2人は熱く思い合い、さらに二人だけの激しい愛におちいります、しかし人には絶対に知られたくない秘密がハンナにはありました。それをミヒャエルにも打ち明けられずに、ある日姿を消し、去っていきます。 それから数年後、ナチ戦争犯罪裁判を傍聴していた法学部の学生のミヒャエルに 信じられないことが 起こります。ナチ犯罪被告の1人として出廷したのは、いまでも忘れられない あのハンナでした。ナチ裁判が進むにつれ、愛するハンナの知らざれる秘密が… 」

この映画をごらんになった方もおられると思いますが・・・。
最後にハンナの残したお金を識字率向上のための団体に寄付するという下りになっていましたが、暗に、ハンナの残酷さは文盲に由来するかもしれない、というニュアンスがあるのでしょうか。
だとすれば、高慢な、思い上がった考え方のように思えます。
字を読めないことや知的センスに欠けていることが、人間を冷酷にしてしまうと考えることは、間違いだと思います。

人をけ落としたり、権力を握ってたくさんの人々を不幸に陥れたりする人は決まってインテリです。キリスト教の聖書にもそう書いてありますね。政治、戦争、経済の世界で、暴力、殺人、強姦、泥棒、嘘、詐欺、言い逃れをする思い上がった者たち・・・知的センスも学歴もある者たちです。このことは、たとえを挙げる必要がないほどに、新聞・テレビでそうした悪辣な者たちが毎日報道されています。

優しいことや冷酷であることは、知的レベルとは関係ないことでしょう。家柄もよく、自身学歴もある、経済も豊かであるにもかかわらず、不幸なことに自分が悪辣な人間であることに気付くことができない思い上がった人たちが多数います。まことに不幸で、哀れでさえあります。死ぬまで気が付かないで・・・そして死んでいくのです。
このタイプは特に権力者に見られますが、本当に哀れだと思います。人々を苦しめ環境を破壊して、それを当然の事だと思い上がりの生涯を送るのです・・・そうやって死んでいくのです。死んでから気付くのは、もちろん、もう遅すぎるのです。

 文字は人々を隷属させるために考案されたという研究者もいます。
犯罪の多寡は識字率の問題ではなく、政治・経済の問題です。
魂の優しさや冷酷さは、知的レベルとは関係がなく、もって生まれた環境と・・・そしてその人特有の運命的なものなのではないでしょうか。
この映画の最後、ハンナのお金を裕福になったユダヤの女性と法曹人のミヒャエルの間で、識字率向上のために使うことで合意がなされましたが、「画竜点睛を欠く」の感を抱いたのはぼくだけではないでしょう。文盲であることが、優しさとか冷酷さには関係がないと思います。

 

さて、グノーシス思想の「グノーシス」の意味は知識、あるいは洞察の意味ですが、グノーシス運動はこれに類した誤りをたくさん犯してきました。確かに智は人を救うことができますが、この映画での「識字率向上」の件のように一つ誤ると勘違いの思い上がりを誘発してしまいます。とても危険な思想でありましょう。われわれは無数の事象の中から、足らない頭で、自分にとってのいいか悪いかだけの選択しかできません。その選択が正しいか間違っているのかは、本当にきちんとした洞察が必要なのです・・・それこそがグノーシス思想だと思います。

われわれは古来から伝わってきたからとか、大聖人が言っているのだからと理屈付けをしたがりますが、それも言ってみれば選択にすぎません。きちんと調べてみると、聖人と言われてきた人々も非人道的な行為をなしている場合もあるからです。ここにその例をあげることはぼくのような卑小で臆病な人間にはできませんが、どうでしょうか、世間に流布されていることと真実には以外と乖離があることは確かでしょう。
 例えば・・・・。いえ、やめます。怖くて書けません。


 ぼくの仕事の経験からも、優しい人はインテリより、普通の人の方に多いのです。

以上、この映画の感想文です。

0 件のコメント:

コメントを投稿