2010年3月7日日曜日
“日本最古の殺人”解釈一変 愛媛の縄文遺跡・上黒岩 再調査報告(再)
愛媛県久万高原町の上黒岩遺跡で、ヤリの穂先と見られる骨器が突き刺さった人骨が発見されたのは1969年のことだった。縄文時代も早い時期、約8千年前の出来事で、被害者は男性とされた。「日本列島最古の戦い」「殺人事件の犠牲者」「夜間の猟での事故」などの見解が発表されてきたが、再調査の結果、人骨は女性と判明し、解釈が一変した。
上黒岩遺跡は、28体もの人骨が出土した縄文早期の墓地と、それに先立つ縄文草創期の生活遺跡からなる。骨器の刺さった人骨は、再埋葬された状態で発見された。シカの骨を磨いたへら状の鋭利な骨器が、背後から腰の骨を貫通していた。
殺害されたことが明白な人骨は、縄文時代を通してもほかには例がないだけに、多くの考古学者がこれまで著作などで紹介してきた。
たとえば国立歴史民俗博物館長などを歴任した故佐原真さんは、87年に出した『大系日本の歴史(1)日本人の誕生』で、「縄紋人も、時には人と争い、人を殺すことがあった」ことの証拠として示し、「被害者・成年男子、凶器・穂先10センチのヤリ、即死、犯人不明」と記している。
61年に発見された上黒岩の調査は70年まで5次にわたり、人骨のほかにも土器や石器、石偶など貴重な出土品が多数あった。しかし全体をまとめた報告書がなかったため、関心をもつ研究者が集まり、歴博が中心となって2004年に再調査がスタート。報告書がこのほど完成した。
骨器の刺さった人骨の見直しも、この再調査の一環で、九州大の中橋孝博教授(人類学)が担当した。その結果、骨の形態やサイズなどから、出産経験のある女性と判断した。傷の状態から、生きているときか死後間もない時点で刺されたと考えられた。
さらに、骨にはもう一カ所同じような傷が確認され、何度か突き刺されていた可能性が高まった。「生きている男性が一度刺され死亡した」という前提には疑問符がつき、新たに「女性が何度か刺された。刺されたのは死後かもしれない」という状況像が浮かび上がってきた。
報告書で春成秀爾・歴博名誉教授は「病気で亡くなった女性に対する儀礼行為」との見解を示した。戦いや事故による死であれば骨器を抜いてから埋葬したはずであり、それが腰に刺さったままであるのは「意図的」だからだと指摘し、「出産時に死亡した女性の霊が迷奔するのを防ぐためでは」と推測する。男女の判断の違いにより、まったく別の歴史像が描かれることに驚かされる。40年後に刊行された調査報告書は、しっかりした観察所見の必要性を改めて示したといえるだろう。(渡辺延志)
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