大人の墓は、集落の東部では約420m、南西部では約310m、西端部では約40mにわたり、それぞれ道路跡に沿って列状に並んでいます。その多くは楕円形の墓穴(土坑墓)で、上に石が置かれたものや、土を盛り上げたものもあります。他に、墓穴の周囲に石を環状に並べたもの(環状配石墓)もあります。集落の南西部の墓列内では、約210mにもわたって環状配石墓が列状に並んでいます。また、中からヒスイ製の装身具や石せき鏃ぞくなどの石器や、赤色顔料が見つかった墓もあります。
子供の墓は、北盛土と北の谷に隣接した集落の北東側でたくさん見つかっています。日常生活で使用された土器の底に穴をあけ、棺に用いました。中には大人の墓と同じように石器が入れられたもののほか、拳大の石が入れられたものもあります。(三内丸山遺跡のパンフレットから)
(掘っ立て柱の住居跡に囲まれた)径16メートルほどのいわゆる中央広場があり、90基余りの墓群が整然と囲繞(イジョウ・取り囲むこと)する。中央墓群である。墓群の並びは、東南側が開く六角形をなし、その五つの角には径30~40センチの墓標を建てたと思しき柱穴が見出された。(東南は冬至の朝、太陽の光が中央広場に差し入る方向)
(長野県紫波郡富士見町居平遺跡から)(長野県紫波郡富士見町居平遺跡から)
この二カ所の縄文遺跡では、人を埋葬する場所は居平遺跡の場合は住居のそば、三内丸山では日常的に使用する道に沿った場所だ。他の遺跡も同様に生活の場のすぐそばに墓を設けてある。縄文時代、死に対する忌避など微塵もなかったことを裏付けている。
商店街に沿って墓を設けたり、住宅街の中心に墓を設けているようなものだ。
現代の墓が人里離れた寂しい場所にあることから考えると、死者に対する感覚はまるで違う。さらに、死者を埋葬する意味も、死者に対する気持ちもまったく違うように思える。
死生観・・・一見この語句は死と生をきちんと見ようとする言葉に思えるが、死を意味のない空虚なものとして捉える現代特有のごまかしの感がぬぐえない。
たとえば「死生観入門・太田保世・ごま書房」「経験としての死・芹沢俊介・雲母書房」「生きて死ぬ私 脳科学者が見つめた「人間存在」のミステリー 茂木健一郎」など、死を虚無と考える本はいくら読んでも、死について納得できるものではない。茂木さんに関してはこの人壊れているのでは?という感想を持ったほどである。
死は無であり虚無であり、人生にとって最後の単なる悲劇だと考えているようだ。しかも死を他人事と捉え、自分には余り関係ない、死に直面した人は可哀想だなあ、みたいな態度だ。だって死は脳に酸素が行き渡らなくだけのことだし・・・
で、まあなんとかその恐怖をごまかせばいいのでは、という空虚な屁理屈を並べている。たぶんこういう人は自分は死なないと思っているようだ。
死をごまかすだけ・・・。なんの答えも用意していない。そもそも、死を脳や心肺の停止としか考えていない。宗教的、精神的なことについては、思いつき程度にしか触れない。その思いつきもひどいもので、どっかの経典や本に書いてある宗教的なことを丸写し、列挙するだけ・・・既成キリスト教の場合・・・既成仏教の場合・・・これでは死に行く者を混乱させるだけだ。このようないいかげんな本は出版すること自体無意味だ。作者がどんなに高名であろうと、そうした仕事は徒労というものだ。死を理解しようとする能力がないのなら、はじめから死をテーマに書こうなどと思わないほうがいい。
死生観という語句は縄文時代と違って死者と生者を分けて考える。しかも、死を空虚なものと捉え、その空虚さとどう向き合って生きていくか、あるいは死ぬ間際にその空虚さをどう乗り越えていくかという後ろ向きな考え方だ。
確かに神秘主義やオカルティズムというと、なにか胡散臭い感じがするが、どうだろうか。もしそうした世界に真理が隠されているとしたら・・・そう考える方法もあるのではないか。もしかすると、死は現代科学が定義するものとは違う側面があり、それが人間にとって確実に重要かもしれない。
「死は肉体の崩壊以上のものでも、またそれ以下のものでもない。物質である肉体が滅びれば、はい人生永遠に終わり!精神も心も脳という物質の上を走る情報でしかないのだから、は~い、一巻の終わり!違う側面なんて、考えるだけ無駄!」・・・・本当にそうなのだろうか?
数千、数万年にわたって書き残された死後についての人類の洞察はすべて嘘、戯言・・・唯摩の黙思・・・だって、唯摩経でそう言っているだろう、結局唯摩も答えられなかった・・・・そうではない。唯摩は答えられなかったのではなく、答えなかったのだ。
そんな箇所だけあげつらって、「ハイ、だから向こうのフィールドはありません!」と短絡的に結論するのが、偉い学者や物書きのすることだろうか。
もちろん、ぼくはここに向こうのフィールドの存在を科学的に論理的に証明するつもりは毛頭ない。「リーラーの宇宙・三章」で、試みてはいるが、それも文字や記号で表せる範囲のことでしかないと思っている。
何度もここで言っているように、科学はしょっちゅうその態度を変えている。10000年の未来の科学は、われわれが天動説を笑うように、現代の科学を古代科学と言って、きっと幼稚な古代科学と見るに決まっている。
科学者は現代の数学と物理法則の記述は宇宙普遍の法則だから、たとえ異星人が見ても理解できるものだと豪語して憚らない。本当にそうなのだろうか?算数の「1+1=2」や高校で習ったニュートンの微分方程式の「運動方程式」や、あの難しそうな「特殊相対論」が宇宙の普遍法則と科学者は言い切るが、どうだろうか、未来永遠の不変法則なのだろうか?また何か発見があって、いや実は違っていた・・・・なんてことは大いにあり得るのに。
豪語は科学の思い上がりだ?現在分かっている物理法則が未来永劫に正しいのであれば、確かに、豪語は思い上がりではない。だが、これまで科学は歴史的に新説が出るものと決まっている。そして、旧来の法則が誤りであり、新説が正しいと平然と言う・・・現在科学者が把握・理解している物理法則が未来永劫に間違いのないものであり、正しいものなのか?答えはノーだ。科学が進歩すると通説は修正・否定されてきた。
現在の法則が永遠に正しいと断言できるわけがない。数千年・数万年の未来の科学者からみれば、もしかすると21世紀現代科学を古代の妄想的推理と蔑むかもしれない。そういう意味から科学者はもっと謙虚にならなければ・・・・。科学的判断こそが唯一無二の判断・・・多分違うだろう。「21世紀現在の科学では」という謙虚な前書きをつけるべきだ。科学万能主義は独裁政治にそっくりだ。
「あの世なんて、あるわけがない。科学がそう言っている」・・・・ほとんどの人はほんの
500年ほどの歴史しかない科学の言いなりだ。科学は新しい発見・研究によって、日々訂正される学問だ。
しかも、科学が把握しているエネルギーは宇宙全体の4パーセント(電子・陽子・中性子)にすぎず、ダークマターと呼ばれる真空中に存在するエネルギーなど、いまだに分からないことだらけだと物理学は言う。4パーセントだけの法則でこの世界の全てが分かるはずはない・・・科学に素人のぼくでも、やはりそうだと思う。
「2003年から、宇宙背景放射を観測するWMAP衛星の観測によって、宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいしかないことがわかってきている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%89%A9%E8%B3%AA
もしかすると、幽霊とかテレパシーなど超常現象はこのダークマターに由来するのでは?などと考えることもできるかもしれない。
幽霊など超常現象と呼ばれるものは、物理的検知器にはかからないのだから、見えなくて当然だが、もしダークマターと関連があるとしたら、これは極めて面白いと思う。
さて、科学批判はここで何度もやったので、やめて本題に戻ります。
一体縄文人は死をどのように考えていたのだろうか?
墓制からみると、死者を忌避などせず、まるで生者であるかのように振る舞っている。これを推測することは縄文の文化を知るにあたって極めて重要だろう。この時代の人々は生死を分けていなかったようだ。あるいは生死をコインの裏表のように見ていたのかもしれない。「チベットの死者の書」でも、生きている時と死んでしまった時も、同様にヴァルドウという用語でくくっている。人間の生涯を、生死をワンセットとして考えている。
「そんな宗教的表現は科学的でない!」とどうしても考えてしまう人は、死に直面した時、虚無や無をうまくごまかす方法を会得して死んでいって下さい。
死には豊かな死もあれば、貧相な死もあるのです。死の恐怖と対峙しながら、シャツ一枚で、暗い夜の吹雪きの中を一人だけでとぼとぼと行くように死んでいくことになるでしょう・・・実際、唯物論的思考法しか持っていない人はそのように死んでいくしかありません。
科学は死を考える場合、当てにならないものなのです。死が自分の目前に迫った時、
「自分を自分だと意識しているシステムが止まるだけ、自我や魂や心なんて100兆のシナプス連結とその上を走るデータのことにすぎない。死が怖いことだとか、なんか尊いことだなんて思うことはナンセンス、さようなら!」
・・・・と諦めて楽になりましょう。高齢者の方や死を目前にした方々にも、「人間なんてタンパク質の機械にすぎないんだよ、そのタンパク質と脳のデータが崩壊する、死はそれ以上でも以下でもないんだ。」と言ってあげましょう。
死の恐怖と対峙しながら、シャツ一枚で、暗い夜の吹雪きの中を一人だけでとぼとぼと行くように死んでいくのです。権力者も貧乏人もそれは同じです。暗く寒い道をとぼとぼと行かねばなりません。死んでいるのですから、凍死することもありません。どんな恐怖にあっても、どんな苦痛にあっても、死ぬことはありません。永遠に苦しい道をとぼとぼと歩き続けるのです・・・と幾多の書物に書いてありますが、まあ、それも戯言なんでしょうが、本当にそうだったら、つらいでしょうね。
そんな事考えるだけで、死にたくなくなります・・・・でも、誰でもが必ず死ぬ!これだけ医療が進んでいるというのに、寿命は縄文時代の二倍程度にしか延びていない。でもそのせっかく二倍に伸びた時間もなぜかやたら早くて、一ヶ月なんてあっという間にすぎてしまう。寿命が延びても、時間のゆとりなんてなくなってしまった。感覚から言うと、かえって寿命が短くなったんじゃないの?そんな気もする。
将来、医療によって死を先延ばししても、せいぜい百年ちょっとがいいとこでしょう。で、百年ちょっとたてば、元の木阿弥、やっぱり死が口を開けて待っています。
縄文時代の墓制や生死に関するその思想は、一体何を示唆しているのでしょう。
古代人の戯言・・・妄想・・・そうなんでしょうか。
われわれの機械文明の歴史はたかだか100~200年にすぎません。この列島においては庶民が電話や自動車を使うようになったのはほんの少し前、コンピューターなんてつい昨日のことです。
縄文時代は一万年続きました。その思想を一万年の含蓄とみるか、古代の妄想とみるか、どちらの態度をとる方が縄文時代をより理解できるのでしょうか。
あの世なんてないと考える唯物論考古学者は、死に対する膨大な過去の遺物をどう考えているのでしょう。おそらくちっとも理解できないでしょうね。
まず、図面や報告、論文をまとめることが最優先でしょう。
子供の墓は、北盛土と北の谷に隣接した集落の北東側でたくさん見つかっています。日常生活で使用された土器の底に穴をあけ、棺に用いました。中には大人の墓と同じように石器が入れられたもののほか、拳大の石が入れられたものもあります。(三内丸山遺跡のパンフレットから)
(掘っ立て柱の住居跡に囲まれた)径16メートルほどのいわゆる中央広場があり、90基余りの墓群が整然と囲繞(イジョウ・取り囲むこと)する。中央墓群である。墓群の並びは、東南側が開く六角形をなし、その五つの角には径30~40センチの墓標を建てたと思しき柱穴が見出された。(東南は冬至の朝、太陽の光が中央広場に差し入る方向)
(長野県紫波郡富士見町居平遺跡から)(長野県紫波郡富士見町居平遺跡から)
この二カ所の縄文遺跡では、人を埋葬する場所は居平遺跡の場合は住居のそば、三内丸山では日常的に使用する道に沿った場所だ。他の遺跡も同様に生活の場のすぐそばに墓を設けてある。縄文時代、死に対する忌避など微塵もなかったことを裏付けている。
商店街に沿って墓を設けたり、住宅街の中心に墓を設けているようなものだ。
現代の墓が人里離れた寂しい場所にあることから考えると、死者に対する感覚はまるで違う。さらに、死者を埋葬する意味も、死者に対する気持ちもまったく違うように思える。
死生観・・・一見この語句は死と生をきちんと見ようとする言葉に思えるが、死を意味のない空虚なものとして捉える現代特有のごまかしの感がぬぐえない。
たとえば「死生観入門・太田保世・ごま書房」「経験としての死・芹沢俊介・雲母書房」「生きて死ぬ私 脳科学者が見つめた「人間存在」のミステリー 茂木健一郎」など、死を虚無と考える本はいくら読んでも、死について納得できるものではない。茂木さんに関してはこの人壊れているのでは?という感想を持ったほどである。
死は無であり虚無であり、人生にとって最後の単なる悲劇だと考えているようだ。しかも死を他人事と捉え、自分には余り関係ない、死に直面した人は可哀想だなあ、みたいな態度だ。だって死は脳に酸素が行き渡らなくだけのことだし・・・
で、まあなんとかその恐怖をごまかせばいいのでは、という空虚な屁理屈を並べている。たぶんこういう人は自分は死なないと思っているようだ。
死をごまかすだけ・・・。なんの答えも用意していない。そもそも、死を脳や心肺の停止としか考えていない。宗教的、精神的なことについては、思いつき程度にしか触れない。その思いつきもひどいもので、どっかの経典や本に書いてある宗教的なことを丸写し、列挙するだけ・・・既成キリスト教の場合・・・既成仏教の場合・・・これでは死に行く者を混乱させるだけだ。このようないいかげんな本は出版すること自体無意味だ。作者がどんなに高名であろうと、そうした仕事は徒労というものだ。死を理解しようとする能力がないのなら、はじめから死をテーマに書こうなどと思わないほうがいい。
死生観という語句は縄文時代と違って死者と生者を分けて考える。しかも、死を空虚なものと捉え、その空虚さとどう向き合って生きていくか、あるいは死ぬ間際にその空虚さをどう乗り越えていくかという後ろ向きな考え方だ。
確かに神秘主義やオカルティズムというと、なにか胡散臭い感じがするが、どうだろうか。もしそうした世界に真理が隠されているとしたら・・・そう考える方法もあるのではないか。もしかすると、死は現代科学が定義するものとは違う側面があり、それが人間にとって確実に重要かもしれない。
「死は肉体の崩壊以上のものでも、またそれ以下のものでもない。物質である肉体が滅びれば、はい人生永遠に終わり!精神も心も脳という物質の上を走る情報でしかないのだから、は~い、一巻の終わり!違う側面なんて、考えるだけ無駄!」・・・・本当にそうなのだろうか?
数千、数万年にわたって書き残された死後についての人類の洞察はすべて嘘、戯言・・・唯摩の黙思・・・だって、唯摩経でそう言っているだろう、結局唯摩も答えられなかった・・・・そうではない。唯摩は答えられなかったのではなく、答えなかったのだ。
そんな箇所だけあげつらって、「ハイ、だから向こうのフィールドはありません!」と短絡的に結論するのが、偉い学者や物書きのすることだろうか。
もちろん、ぼくはここに向こうのフィールドの存在を科学的に論理的に証明するつもりは毛頭ない。「リーラーの宇宙・三章」で、試みてはいるが、それも文字や記号で表せる範囲のことでしかないと思っている。
何度もここで言っているように、科学はしょっちゅうその態度を変えている。10000年の未来の科学は、われわれが天動説を笑うように、現代の科学を古代科学と言って、きっと幼稚な古代科学と見るに決まっている。
科学者は現代の数学と物理法則の記述は宇宙普遍の法則だから、たとえ異星人が見ても理解できるものだと豪語して憚らない。本当にそうなのだろうか?算数の「1+1=2」や高校で習ったニュートンの微分方程式の「運動方程式」や、あの難しそうな「特殊相対論」が宇宙の普遍法則と科学者は言い切るが、どうだろうか、未来永遠の不変法則なのだろうか?また何か発見があって、いや実は違っていた・・・・なんてことは大いにあり得るのに。
豪語は科学の思い上がりだ?現在分かっている物理法則が未来永劫に正しいのであれば、確かに、豪語は思い上がりではない。だが、これまで科学は歴史的に新説が出るものと決まっている。そして、旧来の法則が誤りであり、新説が正しいと平然と言う・・・現在科学者が把握・理解している物理法則が未来永劫に間違いのないものであり、正しいものなのか?答えはノーだ。科学が進歩すると通説は修正・否定されてきた。
現在の法則が永遠に正しいと断言できるわけがない。数千年・数万年の未来の科学者からみれば、もしかすると21世紀現代科学を古代の妄想的推理と蔑むかもしれない。そういう意味から科学者はもっと謙虚にならなければ・・・・。科学的判断こそが唯一無二の判断・・・多分違うだろう。「21世紀現在の科学では」という謙虚な前書きをつけるべきだ。科学万能主義は独裁政治にそっくりだ。
「あの世なんて、あるわけがない。科学がそう言っている」・・・・ほとんどの人はほんの
500年ほどの歴史しかない科学の言いなりだ。科学は新しい発見・研究によって、日々訂正される学問だ。
しかも、科学が把握しているエネルギーは宇宙全体の4パーセント(電子・陽子・中性子)にすぎず、ダークマターと呼ばれる真空中に存在するエネルギーなど、いまだに分からないことだらけだと物理学は言う。4パーセントだけの法則でこの世界の全てが分かるはずはない・・・科学に素人のぼくでも、やはりそうだと思う。
「2003年から、宇宙背景放射を観測するWMAP衛星の観測によって、宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいしかないことがわかってきている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%89%A9%E8%B3%AA
もしかすると、幽霊とかテレパシーなど超常現象はこのダークマターに由来するのでは?などと考えることもできるかもしれない。
幽霊など超常現象と呼ばれるものは、物理的検知器にはかからないのだから、見えなくて当然だが、もしダークマターと関連があるとしたら、これは極めて面白いと思う。
さて、科学批判はここで何度もやったので、やめて本題に戻ります。
一体縄文人は死をどのように考えていたのだろうか?
墓制からみると、死者を忌避などせず、まるで生者であるかのように振る舞っている。これを推測することは縄文の文化を知るにあたって極めて重要だろう。この時代の人々は生死を分けていなかったようだ。あるいは生死をコインの裏表のように見ていたのかもしれない。「チベットの死者の書」でも、生きている時と死んでしまった時も、同様にヴァルドウという用語でくくっている。人間の生涯を、生死をワンセットとして考えている。
「そんな宗教的表現は科学的でない!」とどうしても考えてしまう人は、死に直面した時、虚無や無をうまくごまかす方法を会得して死んでいって下さい。
死には豊かな死もあれば、貧相な死もあるのです。死の恐怖と対峙しながら、シャツ一枚で、暗い夜の吹雪きの中を一人だけでとぼとぼと行くように死んでいくことになるでしょう・・・実際、唯物論的思考法しか持っていない人はそのように死んでいくしかありません。
科学は死を考える場合、当てにならないものなのです。死が自分の目前に迫った時、
「自分を自分だと意識しているシステムが止まるだけ、自我や魂や心なんて100兆のシナプス連結とその上を走るデータのことにすぎない。死が怖いことだとか、なんか尊いことだなんて思うことはナンセンス、さようなら!」
・・・・と諦めて楽になりましょう。高齢者の方や死を目前にした方々にも、「人間なんてタンパク質の機械にすぎないんだよ、そのタンパク質と脳のデータが崩壊する、死はそれ以上でも以下でもないんだ。」と言ってあげましょう。
死の恐怖と対峙しながら、シャツ一枚で、暗い夜の吹雪きの中を一人だけでとぼとぼと行くように死んでいくのです。権力者も貧乏人もそれは同じです。暗く寒い道をとぼとぼと行かねばなりません。死んでいるのですから、凍死することもありません。どんな恐怖にあっても、どんな苦痛にあっても、死ぬことはありません。永遠に苦しい道をとぼとぼと歩き続けるのです・・・と幾多の書物に書いてありますが、まあ、それも戯言なんでしょうが、本当にそうだったら、つらいでしょうね。
そんな事考えるだけで、死にたくなくなります・・・・でも、誰でもが必ず死ぬ!これだけ医療が進んでいるというのに、寿命は縄文時代の二倍程度にしか延びていない。でもそのせっかく二倍に伸びた時間もなぜかやたら早くて、一ヶ月なんてあっという間にすぎてしまう。寿命が延びても、時間のゆとりなんてなくなってしまった。感覚から言うと、かえって寿命が短くなったんじゃないの?そんな気もする。
将来、医療によって死を先延ばししても、せいぜい百年ちょっとがいいとこでしょう。で、百年ちょっとたてば、元の木阿弥、やっぱり死が口を開けて待っています。
縄文時代の墓制や生死に関するその思想は、一体何を示唆しているのでしょう。
古代人の戯言・・・妄想・・・そうなんでしょうか。
われわれの機械文明の歴史はたかだか100~200年にすぎません。この列島においては庶民が電話や自動車を使うようになったのはほんの少し前、コンピューターなんてつい昨日のことです。
縄文時代は一万年続きました。その思想を一万年の含蓄とみるか、古代の妄想とみるか、どちらの態度をとる方が縄文時代をより理解できるのでしょうか。
あの世なんてないと考える唯物論考古学者は、死に対する膨大な過去の遺物をどう考えているのでしょう。おそらくちっとも理解できないでしょうね。
まず、図面や報告、論文をまとめることが最優先でしょう。
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