2010年4月11日日曜日

「UFO論は天使論」第二回


(ここで論ずるUFOの意味はUnidentified Flying Objectで未確認飛行物体と定義する)
UFOは天使の乗り物。図はミケランジェロの「アダムの創造」だが、この絵をよく見ると、ミケランジェロは神の後ろに天使を描いている。神は人間を天使に似せて創造した。神に似せて、ではなく天使に似せてと言ったほうがいいように思えるが、実はアダムはもともと天使であったから、やはり神に似せてとなるが・・・。
また、この絵では神と天使は布のような覆いの中にいる。ミケランジェロのこの覆いの中に神と天使がいるという構図は、何らかの理由があるだろう。当然意図して描いたものと考えられる。
そう、この覆いはUFOだ。「昼は雲の柱として、夜は火の柱として」・・・旧約聖書にそう記述されている。さて、では巷間騒がれているUFOやグレイ、またおぞましい宇宙人の話とは・・・・。
キャトルミューティレイションなどは、何も高度に進んだ科学力を持った宇宙人でなくても、人間にも簡単にできる。高度な彼らが牛の臓器や生殖器や血液を採取するだろうか?また、エリア51での宇宙人解剖の話などが本当だとしたら、それが漏れるわけがない。軍隊で箝口令がしかれたら、まず部外者は知ることができない。そんなに重大なことが漏れるのなら、先端的兵器開発だって漏れてもいいはずである。民間の軍需産業と共同開発しているにもかかわらず、漏れない。

宇宙から地球に飛来してくる高度な存在は、もちろん人類に比べて圧倒的な科学技術を持っていることは間違いない。人類との差は数万年以上あるかもしれない。なにしろ光年単位の距離を行ったり来たり・・・もし他の銀河から来ているとすると、他の銀河の光が地球まで届くまで120億年くらいかかっているのだから、しかも銀河は光の90パーセントの速度で移動している・・・それで光の速さで120億年?地球の年齢は45億年くらい・・・想像もつかない科学技術か、人類とは違った形での科学技術を持っているに違いない。その彼らがわれわれの言う所の資源や富を狙う?人間を誘拐してチップを埋め込む?そういうことをするのだろうか。
彼らはリチウムやニッケルやタングステンを狙って地球に来ている?光年単位を一っ飛びできる彼らが牛の内蔵や性器を収集する?彼らの乗り物が故障して不時着?そして人間に捕まって解剖されてしまう?

最近アメリカ合衆国の元宇宙飛行士が「実は、私もUFOを見ました。はい、それはこんな形で、ええと・・・」政府やCIAやNASAに無断でマスコミに得々と話すということも面白い。

では、その意図とは?
暴力支配勢力が構築した暴力システムによって構築されている現代文明において、現在の状況を維持したいがために、他の天体から飛来してくるUFOに対して、民衆に恐怖を持たせることにある。
もし万が一に人類の中の誰かが、とてつもなく高度な科学を有した存在と結託したら、簡単に人類の社会構造など全ての構造をひっくり返してしまうことができるだろうから、そんなことがないように、UFOに対して恐怖心をしきりに煽っているのだ。
もちろん、高度な存在はそんなことをするわけがない。するわけがないのに、人類の暴力的権力主義者らは、それをひどく心配している。暴力主義者は頭が弱いのである。
人類でも知性のある者は権力や暴力を好まない。権力を握りたがるのは決まって頭の弱い知性、品性が足らない人々である。

 その高度な存在を茶化したり、恐ろしげなイメージを作ったりと、一生懸命心配している。なぜ、それほどに心配するかというと、自分は暴力を振るってもいいのだが、他者から暴力を振るわれるのはいやだということだ。とんでもなく勝手な考え方だが、品性が低い、知性がないというのはそういうことなのである。悲しいかな、そういうことがまかり通っている文明が現代のわれわれの文明なのだ。

他者に暴力を振るうことが、自分自身に同等の暴力を振るうことと同じなのであることを知らないからだろう・・・とここで言っても、人間は物理的一回かぎりの人生しかないと考えている人々には理解できないだろうが・・・・。
さて、ヤーコブ・ベーメは言っている。

『私はここで何の認識もなしに書いているのではない。けれどももしもあなたが一人の快楽主義者として、また悪魔の肥った豚のごとく、悪魔のそそのかしによってこれらのことどもを嘲笑し、そして「この愚か者は、天に昇ってそれらを見たり聞いたりしてきたわけでもない。それらはみな作り話なんだ」と言うのであれば、私としては、私の認識の力によって厳格な神の裁きの場にあなたを引き出し、呼び出しているのだと言いたい。』

「アウローラ」

 ヤーコブ・ベーメの「アウローラ・開け始める東天の紅・園田担訳・創文社」という本がある。この本は一般に15世紀のファルツ国王時代の思潮の流れとしてドイツ神秘主義思想、あるいはグノーシス的キリスト教として捉えられているが、もちろんその一面は大いにあるが、これはベーメが高度な存在と接触したことによって書かれた書物と考えるべきだ。
ベーメが天使と呼んでいる存在がすなわちUFOによって飛来している宇宙人なのである。しかし、宇宙人という用語はどうもSF的かあるいは何か茶化しているような語感があるので、リーラーとしてはこの「宇宙人」という用語を使いたくない。天使、あるいは高度な存在と呼びたい。

二六章のうち三分の一近くが天使について語られている。天使を宇宙から飛来してくる高度な存在と読み替えてみると、納得がいく。長くなるが、「第六章・いかに天使と人間は、神の似姿および像であるか・二 口について」から引用する。

十 口が意味するのは、あなたが天使か人間かのいずれであるにせよ、あなたの父なる者の、その全能ならざる一人の子であるということである。なぜなら、もし生きようとするなら、あなたはあなたの父の力を、まさに口を通してわがものとしなければならないからである。天使もまた人間と同じようにしなければならない。もっとも天使は、人間のような仕方で大気の元素を必要とはしないが、それでもやはり霊(日本語のムスヒに相当する語・遊観注)をわがもとするのはーそしてこの世界の大気も、もともとこの霊から 成り立つのであるがー口を通してでなければならない。

十一 実際、天においてはそのような大気は存在せず、もろもろの性質はいわば快い爽風に似てまったく柔和であり、歓喜に充ちている。そして精霊はこれらすべての性質のもとで、サルニテルとメルクリウスのうちにある。このような精霊(ムスヒ)を天使もまた必要とするのであり、それなくしては天使も運動する被造物ではありえない。実際、彼もまた天上の果実を口を通じて食べねばならないのである。

十四 しかしながら、彼が食べる天上の果実は地上的なものではない。それらの果実は、その形と姿において地上のそれらのようでありながら、やはりただ神的な力であり、それゆえこの世の何ものとも較べられないほどの快い味と香りをもつ。』


ベーメは世界を表現するのに、「渋い」とか「苦い」などの独特の用語で説明するが、ほかに表現方法がないのでこうした感覚を使うのと同様、天使についても地上的な表現ではないことを強調している。

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