2010年4月25日日曜日

思い上がっている自分


 前回「余暇と祝祭・ヨゼフピーパー著から」でヘラクレス的労働について書きましたが、キリスト教の「ヨブ記」がヘラクレス的労働の強烈なイメージがあるように感じるのはぼくだけではないでしょう。

 ベーメは「アウローラ」の中で、果敢にも聖書にも間違った所が結構あるのだと書いています。例えばこのヨブ記のような内容だと考えるのは間違いでしょうか。ベーメの神秘体験から叙述した著書から類推すると、どうしてもそう考えてしまいます。確かに、ベーメは福音書や詩編などからたくさんの引用をしていますが、ヨブ記のような箇所は遠ざけているように思えます。

 カントなど権力体制に迎合するような哲学のほとんどは、個々の人間の人生を豊かにすることはありません。リーラーの宇宙・第一章でふれましたがマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の分析も、当時のプロテスタントがヘラクレス的労働を賛美する傾向が強くみられます。これもヨブ記的精神の一つと思われます。結果、多くの産業労働者は悲惨な労働条件を強いられることになりました。例えば英国の少年たちは一日18時間の労働でばたばたと死んでいきました。
「どんな悲惨な結果が待ち受けていようと、甘受しなさい、それも神の思し召しなのだ」という説教をする者は決まって、ぬくぬくとした生活を送っている富裕な聖職者と権力者たちです。また、独ソ戦の本を読んだことがあるのですが、ドイツがソ連に攻め入った際に、ドイツの一般兵士は飢えと寒さに苦しみましたが、高級将校たちは膝に女性を乗せて、暖かい部屋で作戦を立てていました。これではドイツはソ連に負けるだろうという一般兵士の述懐がありました。

 ヨゼフ・ピーパーが言うように「ヘラクレス的労働」を賛美する背景は、悪魔に魂を売り渡した黒い肥満動物の思い上がった態度がみられるのです。
ぼくはだから、悩みます。飢えなどの恐怖に対峙することなく・・・・トイレで温水で尻を洗ってくれるような快適な日常生活をしていて、このようなことを書くことは、自分も悪魔に魂を売り渡した黒い肥満動物の思い上がった者たちと同類なのではないかと・・・。 絵はギュスターブ・ドレのルシファーの図ですが、もちろん彼に同情しているのではありません。ぼくも愚鈍で思い上がった人道主義者なのかという思いなのです。

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