2010年6月21日月曜日

“Blessed are the poor in spirit , for theirs is the Kingdom of heaven”


キリスト教聖書・マタイ伝・第五章
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
ギリシャ語やラテン語ではどうなっているのか分かりませんが、英文では 
“Blessed are the poor in spirit , for theirs is the Kingdom of heaven”
となっています。Spirit を心と訳しています。
辞書で spirit を牽いてみると・・・。


心 (soul)
・in (the) spirit 心の中で, 内心
・the poor in spirit 心の貧しい人たち《★聖書「マタイによる福音書」から》.
a (人体と離れた)霊魂; 幽霊, 亡霊 (ghost).
b [しばしば S ] (神の)霊, 神霊
・the spirit world 霊の世界
・the Holy Spirit 聖霊.
c [the S ] 神; 聖霊.
d (天使・悪魔などの)超自然的存在
・evil spirits 悪

心に括弧して、soul とあります。・・・で、soul を牽くと・・・。

soul /s l

a 霊魂, 魂; 死者の霊, 亡霊
・the immortality of the soul 霊魂の不滅
・the abode of departed souls 肉体を離れた霊魂のすみか, 天国.
b 精神, 心 (spirit)


ここの心はmind や heart ではなく、soul 的な心という意味なのでしょう。どちらかと言うと身体に対比される思考や霊魂という意味合いが強いように感じます。
しかし、「霊魂、魂の貧しい人は幸いである」としても、やはりこのままではあいかわらず意味がつかめないままとなってしまいます。

 

ところが、西暦二世紀からカトリックに異端とされたキリスト教グノーシス思想からみると、この言葉は決して不自然ではなくなります。”the poor in spirit”  は当然のことなのです。リヨンのカトリック司祭エイレナイオスの時代でも、ここの解釈は多分にグノーシス的であったはずです。なぜならカトリックもユダヤ教、ヘレニズム思想、ミトラ教、グノーシス思想の一部であったからです。それはキリスト教成立史などを紐解けば理解できます。

そこで、グノーシス思想ではこの spirit をどのように捉えていたのかというと・・・。


グノーシス思想では人間(ミクロコスモス)を霊と心魂と身体の三部分としてとらえます。それと対比して宇宙(マクロコスモス)も超越的プレーローマ・超越的な光の世界と、中間界、物質界として考えます。
すると心魂はマクロコスモスに対応してみると、中間界に位置します。この中間界と人間の心魂の結びつきが強い、あるいは思考が物質界と結びつきが強いことは救いから遠いことになります。

spirit が中間界や物質界と結びつきが弱いほど、つまり poor なほうが、より救いに近いということになります。

つまり心魂が物質にどっぷりと依存していない状態、それが ”the poor in spirit” 「心の貧しい者」 なのです。
ただ、日本語訳だと、ここの部分は「心が貧相な・・・」というふうに読めてしまうので、分かりづらくなってしまうのです。

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