2010年6月13日日曜日

高度な知的生命体


われわれ人類が想像する高度な文明の都市の様相というと、自動車が空を飛び、大気圏外にまで伸びる高層ビル、物質的に豊かな人々・・・を思い浮かべるが、実はまったく違う。

もし、われわれ人類が高度な知的生命体の住む星を訪問したなら、一体どこに彼らが住んでいるのか分からないはずだ。その星の有様はまるで人類の出現以前の自然そのものだ。
建物はもちろんのこと、人工的な存在物をこの星で捜してもまったく見つからない。

なぜなら、彼らはもの・ことを自在に操ることができるので・・・。
自分の姿や環境を如何様にも操ることが可能だろう・・・実に人間臭い表現だが、たとえば美女、美男になり広大な邸宅を持ち、技術的に高く美しい芸術もいつでもどこでも手にすることができるので、何も必要がない。当然どこでもドアも持っている。(そのドアの名前は人間が名付けたUFO である)
それらは物資的に依存したものではないから、一人一人が棟梁だ。

物質的でないからと言って、現在の人類が言うところのおもちゃのようなバーチャルではない。リアルそのものだ。先にもふれたが、この宇宙の構成はダークマターとダークエネルギーが96パーセントで、われわれが物質と呼ぶ存在はたったの4パーセントにすぎない。
銀河や星間物質、光など諸々の波を全部集めても4パーセント・・・。
物質世界の出来事こそバーチャルと言えるのではないだろうか。

グノーシス的な表現をすると、この4パーセントの物質をもとにして、混沌と奈落を母とするヤルダバオートという造物神ができそこないのこの世界を作ったということになる。
この創造神をサクラス(愚か者)とこき下ろすナグハマディ写本も納得がいくというものだ。
(この説明は長くなるので、興味のある方はメール下さい。ご説明させていただきます。ここでは、岩波書店・ナグハマディ文書の補注から以下引用するだけにとどめます。
ヤルダバオートという神は、プレーローマの中に生じた過失から生まれるいわば流産の子で、自分を越える神はいないと豪語する無知蒙昧な神。多くのグノーシス救済神話は、旧約聖書の神ヤーウェをヤルダバオートと同定することによって、特に創世記の冒頭の創造物語と楽園物語に対して価値逆転的な解釈をする。 )

 考えてみれば高層ビルは鉄の棒の周りに砂を固めて張り付け、外装をガラス質のもので覆っている物質的なものでアリ塚の大型判にすぎない。また人類のビルのほうが複雑であるということは、たいしたことではない。コンセプトはアリ塚とまったく同じである。アリが数億年(もっと早いかな)の未来に構想ビルを建てることが可能だ。

さらに人類が動力源とするものは摩擦や作用・反作用やベクトルの方向や、重力に縛られており、限界がすぐに来てしまう。例えばエンジンを高速で回すと熱が生じて、熱に負けてしまう。まっすぐ走っていて、右に曲がろうとすると遠心力が働いてしまう。宇宙空間を通過する場合は弱い力なのだが、星々のその重力に逆らってしまう。

つまり、現在の人類は物質型の創造と発展、そして物質に依存した思考方法によってリアルな文明が築けると信じている。実はこちらは結構バーチャルなのである。本質は別の所にある。(文明とは何かをここでは棚上げとする)

しかし勘違いしてはいけない。人類が数百万年間ずっと思考も行動も物質依存症候群であったわけではないだろう。過去にはこの病気を克服したこともあったと考える根拠(神話・民話・オーパーツや過去の遺跡、言い伝え、不思議な話)もずいぶんあるように思う。

例えば、芸術はそれを表す物質(墨や絵の具、石や木、文字・記号、紙)のことを指しているのではなく、それらの物質が表す存在の背景にある本質を表現するものだ。そうした思考法による文明のほうが、宇宙の法則に近いような気がする。

現代人は科学や数学的法則をまるで神の摂理のように信仰し、科学や数学こそが宇宙万物の真理だと考えてしまっているが、実は違うだろう。芸術のような思考方法こそが宇宙万物に通用する真理だと思う。


数学的法則は宇宙全てに共通するものであり、高度な宇宙人にも理解してもらえると、科学者は思い上がっている。残念だが、そんな数式を彼らに見せても意味がない。

それより、一緒に踊った方が、一緒に笑った方がいいのではないか。

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