2010年7月2日金曜日

“Blessed are the poor in spirit ,・・・続き


マタイ・マルコ・ルカの三福音書は共観福音書と呼ばれ、似た記述が多い。Q資料と呼ばれる未知の原資料を使用したからであると考えられているが、(そのQ資料は発表されていないだけかもしれないが)、特定できていないことになっている。ちなみにヨハネの福音書は一番後に書かれたもので、それら三福音書と大分趣がちがう。

さて、「心の貧しき者は幸いである」とマタイ福音書に書かれている。

ルカ伝・六章・20節には・・・。
『貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから』

次にナグハマディ写本にあるトマス福音書には・・・
『イエスが言った、「あなたがた貧しい人たちは幸いである。天の王国はあなたがたのものだから。」


マタイ福音書だけ“the poor in spirit ”・・・in spirit がついているために、解釈が難しくなっている。
また、用語を見ると、マタイとトマスは天の王国で、ルカは神の王国となっている。
この表現は考えてみるとずいぶんと違う印象だ。天の王国、神の王国・・・天と神は明らかに違う。
「信仰があれば、そんな些細な表現の違いはどうでもよい!」・・・・と考えることは宗教的堕落である。

これらのキリスト教の聖典が書かれはじめた時期・・・エイレナイオスが火を点けたヴァレンティノス派などとのカトリック派の論争の時期についても考えなくてはならない。

また、プロトタイプが最も正しいとする考え方も、宗教を論ずる上で独善的な悲しい思い上がりだ。向こうのフィールドから流れてくるそれが一時にどっとくるわけでもない。

しかし、バイブルを一節読むたびに、考え込んでしまうのはぼくだけではないだろう。

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