2010年6月6日日曜日

小学6年生の社会科の教科書から消えていた縄文時代


「日本の歴史を扱う小学6年生の社会科の教科書から消えていた縄文時代が、来年度の教科書から10年ぶりに復活する。・・・小6社会の教科書は「ゆとり教育」に伴い、1998年の学習指導要領改訂で、最も古い時代の記述について『農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること』と規定。2002年度以降の教科書からは、農耕が始まったとされる弥生時代から記述が始まり、旧石器時代と縄文時代は原則として消えた。」5/28読売新聞

 ゆとり教育についての批判は聞いてはいましたが、1998年の学習指導要領についてぼくは全く知りませんでした。

縄文時代はこの列島に根付いたわれわれ人類の基礎です。記紀に反映している神話のプロトタイプが、縄文土器の図柄の最新の研究成果から縄文時代にあったと考えられるようになっています。それほどにこの列島について重要な時代なのです。また、高度に整った社会があるにもかかわらず、戦争をしないという人類史上最も素晴らしく、最も美しい世界を構築していた時代です。子どもたちにきちんと教えるべきでしょう。


しかし、教育について・・・・愚民化政策とでも言うのでしょうか。最近の子どもたちの知的レベルの低さにはまったく驚きます。当然大学生になってもその状態は続き、本を読んだり、考えることができなくなっています。

最近、携帯片手に虚ろな目で座り込んでいる青年のなんと多いことか、青年は本来目がキラキラして活発であり、進取気鋭の精神に富んでいるはずです。ヨーロッパでもアジアでも外国に行くと分かります。善し悪しは別として、世界の青年たちの目はキラキラとしているのが常です。

日本の若者は世界に乗り遅れてしまいました。年齢は若いけど、精神・心は老人・・・この列島で初めての現象です。いや、世界的にも珍しい現象でしょう。戦争や飢餓があるのならそうなっても仕方がありませんが、そんなことはないのに虚ろな目、若々しくない青年・・・どうしてだろう?

大人たちも変です。小さなことに目くじら立てます。車がちょっと汚れたりキズがついたりすると、もう大変です。変です。洗車のためにたくさんの水を浪費する人が、平気で「水を大切にしましょう」なんて言います。
山の木々を切り倒し、たくさんの動物を殺して作ったゴルフ場でビール片手に「自然はいいなあ、自然を大切にしなくては・・・」なんて言ったりします。これは勘違い、錯覚の類ではなく、分裂気味で頭がおかしいとしか言わざるを得ません。

また仕事や日常の生活でちょっと気分が塞ぐと、「私ってウツなの」となり、周囲の同情を買おうとします。生活してれば、気分が塞いだり、陽気になったりするのは当たり前のことです。

ささいなことに目くじら立てて、いらいらする。針小棒大・・・なんか最近の人々はそんな感じです。

縄文時代の知識は大切です。おそらく縄文時代に培われた精神・思想をわれわれが思い出せば、日々の生活はもっと楽に楽しく美しくなると思います。美しい縄文時代は1万数千年・・・心や精神が不安でいっぱいになってしまう近代文明はこの列島では100年ちょっとの歴史しかありません。

ここでユングやフロイトを持ち出すまでもなく、われわれの基層の精神・心は縄文時代にあることは明らかです。縄文時代の人々については拙著「リーラーの宇宙」をお読みになって頂ければ幸いです。

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