2010年7月6日火曜日

未知との遭遇 その二 古事記の古代歌謡


古事記で死に関した記事、それも特徴的な記事をというと、それはやはりヤマトタケルノミコトの白鳥伝説だろう。タケルが死んで白鳥になって飛び去ったという神話だ。
鳥居の起源や、ラスコー洞窟の司祭らしき男が手に持つ杖にも鳥の彫刻があり、死を鳥に結びつけて考える風習は太古から全世界にある。

ヤマトタケルノミコトは父の景行天皇の理不尽な命令によって、諸国を転戦させられ、「新治、筑波を過ぎて、幾夜か寝つる」という強行軍を強いられ、最後にはめちゃくちゃに疲れて愛するミヤズヒメを思いながら息絶えてしまい、その魂が白鳥になって飛び去ったというものである。

そのあたりのことを古事記は次のように記す。

「后等御子等、諸々下り到りて、御陵を作り、即ちそのナヅキダに這いもとほりて、泣きまして、歌ひたまひしく、
なづきの田の 稲幹にイナガラ)に 稲幹に 這いもとろふ、トコロヅラ
と歌ひき・・・」

六・五・五・六・五 ・・・後世の和歌の五七五七七が成立する前の韻踏みだ。

后等・・・複数となっている。ヤマトタケルはもてもての男だった。
トコロヅラは蔓科の植物で螺旋を描いて巻き付くもので、この歌謡はその螺旋をテーマにしている・・・この田圃は神となったタケルに捧げる稲を作る聖なる生産地である。


この歌謡をバックにした当時の舞踊を見てみたいものだ。
想像では白を基調にした長い裾、長い袖の緩やかな衣装に身を包んだ美しい乙女が、ゆっくりと回転したり、バレーダンサーのようにくるくると回ったり、大きく跳躍したり、そのしなやかなで優美な舞踊によってわれわれを幽玄の彼方へ誘ってくれるだろう。

そして、この歌謡の意味は国語学の大先生たちが解説する内容とは大きく違う。以下はもちろんぼくの解釈だが、きっとぼくの解釈の方がおしゃれだ。

「誰もがよく知っているタケルの聖なる田圃に生える蔦よ、トコロヅラよ、お前はくるくると回って稲に巻き付いているが、黄泉の国に行く際のあのトンネルや、上昇感や下降感を知っているから、そんな風に螺旋を描くのかい、もし、あちらの世界を知っているのなら、トコロヅラよ、あちらの世界がどんな風なのか教えてくれないか」
 

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