2010年8月11日水曜日

続 ソフィアとの戯れ 


入院前にこのタイトルで書きましたが、やはりベッドに寝ているだけというのはいろいろ考えるものです。数冊の本と音楽とヘッドホンを持って行きましたが、これまで考えていたことや読んだ本を反芻したりしました。収穫はやはりベーメでした。これまで書いてあることをいくら考えても理解が進まないことも、考え続けることによって大分分かるようになりました。
ベーメはドイツ語で著作を著していますが、おそらくドイツ語でも日本語に翻訳された文章でも同じように難解だと思いますが、翻訳の際にその難解さが増すというような文章ではないようです。

ぼくはドイツ語が分かりませんが、コツさえつかめばベーメの言うことがよく分かるような気がします。もちろんギリシャ哲学やヘルメス哲学、また錬金術について多少の知識が必要ではありますが、率直な語り方には共感を持てます。



さて、ソフィアとの戯れは思ったほど進みませんでした。彼女はやっかいでした。
以下に入院時のメモの一部を置きます。



般若心経 一切智に帰命す
美しく流れるような旋律は 洗練され、完成している。
次々と流れ去る雲のように、跡形もなく、空虚な無には一切ふれず、
無を残すことなく、流れ去る空性を説く。
空観、縁起の法にのせて存在をうつろいの影となし、さらにその影さえ、木っ端微塵!



熱望は自己自身を捉え、自己を圧縮する。すなわち熱望は自己を凝固させ、自己の中で自己自身を牽引する。そして自己を捉え、自己を無底から根底へ導き、無が満ちたものとなるように、磁気的な牽引によって自己自身を影で覆う。
しかもそれは無に留まる。それはただ闇という一つの特性にすぎない。



湿った暑く重い空気はそよとも動かず、やりきれぬ大気の圧力が心と魂を押さえつける。
熱く溶けた金属が首筋から胸を伝わり、心の硬い部分をも融解する。
皮膚を破り、肉を焼き、心臓にいたる。
心を覆う心臓が融解すると、熱い砂に置かれた魚のように、心はむきだしとなる。
心の融解がはじまる。
心の柔らかい部分は、煙を伴ってシュッと消失し、残った硬い部分でさえ、赤熱し、
やがて崩壊がはじまる。

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